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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『人生は喜劇だ』 矢崎泰久(飛鳥新社)

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雑誌『話の特集』のオーナーで編集長だった矢崎泰久による、関わりのあった多くの友人たちについての回想で、いろいろと興味深い話が出ている。
中心になるのは、公私ともに関係の深かった小沢昭一、野坂昭如、永六輔たちだが、その下に通低しているのが、五木寛之との件である。

1976年、翌年の参議院選挙に向けて五木寛之は、矢崎と竹中労を巻き込み、自民党に対抗する文化人の政治組織として革新自由連合を思い立ち、1977年春には、矢崎泰久とばばこういちを事務方にして実現化していく。
だが、肝心の1977年6月1日の旗揚げの日に、五木は姿を現さず、その後も矢崎たちとの関係を避けるようになる。

この五木寛之の動きの裏には、自民党、あるいは右翼勢力から五木へ圧力がかかったからではないかと矢崎は、関係者の証言によって推測している。
この本だけでは、良く分からないが、この6月1日の前の3月頃に、一部の新聞に革新自由連合(革自連)の動きが報道され、これは運動の中心から外された竹中の仕業だとし、その頃から五木はビビり始めたと書いている。
と考えれば、やはり五木は、「竹中のような日本共産党の連中と一緒にやっていると、革新自由連合(革自連)も共産党に取り込まれるぞ」と脅されたのではないだろうか。
日本共産党の悪口を言うわけではないが、世界の共産党は、歴史的に常に左翼的人間を自陣に取り込もうとしている組織であり、竹中もそうした意図で動いていたのは間違いなく、五木の動きも理解できる。

その他、この本では三島由紀夫とのことも興味深いエピソードが出ている。
1970年11月22日、六本木の会員制クラブで、麻雀をやっていた矢崎たちに三島は、次のように宣告した。
「諸君の不健康な遊びには感銘すら受けるけど、いざというときのために肉体だけは鍛えておかれることをお勧めする」
三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊に突入したのは、3日後のことである。

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