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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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大滝詠一と寺山修司

昨日は、大滝詠一が亡くなられた1周忌だった。 私が知ったのは、12月31日の午後のニュースで、多くの方がそうだったと思うが、実際は30日に亡くなられていたわけだ。 その時、思ったのは彼と寺山修司との共通性だった。 二人は、共に東北の生まれで、父親は早く亡くなっていて、共に母親に育てられ、戦後のアメリカ文化、映画、ポピュラー音楽の全面的な影響の下に自分の感性を養い、作品を作るようになった。...

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松岡洋佑と安倍晋三

昨日見た『バンクーバーの朝日』では、カナダの白人の蔑視が出てくるが、それは勿論アメリカでもあった。 そうしたアジア人への蔑視、偏見に対しては、果敢に戦うことが必要で、白人はそうした勇気あるものをこそ対等に扱うという信念を持っていた男がいた。 戦前、衆議院議員、満鉄副総裁や外務大臣を務めた松岡洋佑である。...

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田中正造の墓

正月の1月1日はやることもないので、例によってバスツアーで、栃木の佐野厄除け大師に行く。 上大岡10時出発という遅い日程で非常に楽だった。 湾岸から東北道で、佐野に行くがほとんどガラガラで、佐野で下りるときのみ、アウトレットとイオンモールに行く人たちで渋滞していただけ。 駐車場から少し歩いて佐野厄除け太子に着くと大変な列だが、40分で賽銭箱まで行くことができた。...

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『ニューヨークのパリジャン』

今日は、黄金町のシネマ・ジャックに行き、『ニューヨークのパリジャン』を見る。12月31日から風邪気味で、薬を飲んでいるので、眠くて半分くらいしか目を開けていなかったので、良く分からなかった。 要は、人生には決まりはなく、どんなあり方もありうるということだろうか。 終わって、下の横浜パラダイス会館で、梶原俊幸支配人を囲むサロン。...

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五木寛之について

先日、矢崎泰久の本で五木寛之のことが詳しく書かれていたので、私も五木について書くことにする。 彼の小説を面白いと思って読んだのは、高校2年位の時で、「小説現代」に掲載されていたものを愛読した。 だが、『海を見ていたジョニー』が、テレビでドラマ化され、それを見てなんともはぐらかされたような気がした。...

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『夜をぶっとばせ』

去年亡くなった曽根中生が、日活を出て自分の会社フィルム・ワーカーズを作って製作した映画。 主演の女優高田奈美江は、『花の応援団』に出たある方の姪だそうで、不登校と暴力でどうにもならないとのことで、曽根のところに連れて来られた少女。彼はいろいろな事務所に紹介したが、みなビビってダメになる。...

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久しぶりにみた中南米スタイルの良いボクサー

大晦日は、「紅白歌合戦」とボクシングを並行して見ていた。 一番すごかったのは、キューバのボクサーのリゴンドーだった。 キューバのような中南米スタイルのボクサーに、日本人は非常に弱い。 彼らは、ダッキングやスウェー・バックを頻繁に繰り返しては、相手との距離を常に微妙に変化させて、相手が自分の距離になった時に果敢に打ち込んでくる。 こういう柔軟なスタイルに日本のボクサーは非常に弱いのである。...

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お三の宮はガラガラだった

1月2日は、黄金町に映画を見に行くために、まず地元のお三の宮の日枝神社に行った。 だが、この日はガラガラだった。 私も元旦に佐野大師に行っているので、大きなことは言えないが、本来初詣と言うのは地元の神社仏閣に詣でることだった。 それが「初詣」として、著名な神社等に行くようになったのは、大都市での私鉄の発達による広報・宣伝からである。...

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『紅白馴れあい歌合戦』

大晦日の夜は、言うまでもなくNHKテレビの「日本全国の村祭り」『紅白歌合戦』を見て来た。 多分、小学校高学年からずっとそうである。 だが、この数年、特に2015年の去年は、その面白さがなかったように感じた。 それは、歌合戦ではなく、馴れ合っているように見えたからだ。 もちろん、赤と白、女性と男性が本気で戦っているなどとは誰も思ってはいない。...

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『東京物語』の異物

『東京物語』と言えば、世界映画史に残る小津安二郎の名作で、尾道にいる父親笠智衆と母の東山千栄子が、長男山村聡と長女杉村春子のいる東京に出て来た、いつには東山は死んでしまう話である。 普通、この映画は、笠・東山らの父親と、山村聡、杉村春子、三男で大阪にいる大坂志郎、二女で尾道に両親と一緒に住んでいる二女香川京子、さらに戦死した二男の嫁原節子らとの世代とのことを描いた作品とされている。...

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仕事初めは

今週から各職場では通常の仕事が始まったようだが、私が最初に勤務していた市会事務局などは、実にのんびりとしたものだった。 まず、初日の朝には、市会棟の前で、議長・副議長を挟んで職員全員で記念写真を撮る。 撮影するのは、議会御用達の青柳写真館である。 午前中は、いろいろと挨拶周りに動き、市会の4階の大会議室では、「横浜市賀詞交歓会」が行われ、各会派の議員も登庁してくるとすぐに昼になる。...

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白坂依志夫、死去

シナリオ・ライターの白坂依志夫が亡くなった、82歳。 良く知られているように、八住利雄の息子で本名は八住利義、やすみとしよし。 ペンネームの由来が、阪神の選手白坂と吉田義雄であるように、反体制とまでは言えずとも、常に反主流派的だった。 作品を記録で見てみると、意外にも大映が多く、作風的に合っていると思われる東宝や日活作品は、そう多くない。...

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『空の少年兵』

1941年、少年航空兵募集のために作られた海軍推薦の記録映画。 1939年成立の映画法によって日本の映画館は、劇映画の他、ニュース映画と文化映画の上映が義務付けられ、文化映画、記録映画、漫画映画等が急に盛んに作られるようになり、多くは戦意高揚映画だった。 その中では、元プロキノの連中の会社だった芸術映画社製作のこの作品の水準は非常に高く、見る側からも好評だった。...

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『早春』

1956年、『東京物語』に続いて小津安二郎が監督した作品である。 『東京物語』の1953年から、3年空いているのは、小津が田中絹代の初監督作品『月は上がりぬ』の脚本を自ら書き、さらにその実現に追われていたからである。 映画『早春』は、『東京物語』の成功を踏まえて、さらに日本の現実を描こうとした意欲作で、結果は成功している。...

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長谷川一夫

今日の午後、高円寺の明石スタジオで、細野辰興作・演出のスタニスラフスキー探偵団公演『貌切り KAOKIRI』を見て来たので、長谷川一夫について書くことにする。 この劇は、1937年に林長二郎の松竹から東宝への移籍の際に起きた「顔斬り事件」を題材にして、その映画化を試みる監督が、ことの真相をロールプレイ劇を重ねることで解明しようとするもの。...

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『彼岸花』

1958年、松竹で作られた小津安二郎映画で、ここからカラーになる。前作『東京暮色』が非常に暗い作品で、小津自身は自信があったにもかかわらず、大変に不評だったので、ここではカラー画面に合わせて明るく軽いコメディーにしている。 その結果、『東京暮色』は、キネマ旬報ベストテンで19位だったのに対して、3位にランクされることになる。...

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キリスト教が布教に失敗した国

キリスト教が布教に失敗した国とはどこか。 言うまでもなく、日本である。 世界中の国、地域で最もキリスト教が、その布教に失敗し、教徒の数が少ない国は、日本である。 理由は二つ、一つは日本には天皇がいるためである。 ある意味で、多くの日本人は天皇教徒なので、他の宗教を受け入れないのである。...

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『蟻の町のマリア』

先日、あるところで、カトリック教会の関係の方にお会いして、事務所の場所が江東区潮見となっていたので、 「蟻の町でしょう」と聞くとそうだとのこと。 松竹で公開された映画『蟻の町のマリア』のことを、このブログで書いたはずだと思い、調べても出てこない。 さらに調べると、このブログの前の2チャンネルのサイトでやっていたところに書いたものだった。   いじわるじじい:04/09/05 21:41...

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『秋日和』

1960年に作られた小津安二郎監督作品。 筋は、例によってほとんどどうでも良い中身で、ここでは母親原節子が、娘の司葉子をどうやって嫁にやるかが主題になっている。 言わば『晩春』の母子版になっている。 東京タワーが見える寺なので、芝あたりだが、原節子が施主で法事が行われていて、大学時代の友人の佐分利信、中村伸郎、北竜二が集っているが、法事後の鉢洗いの席で、娘司葉子の結婚のことが話題になる。...

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戦後は、小津安二郎作品に疑問を持っていた城戸四郎

西河克己は、小津安二郎について、城戸四郎から「小津は松竹の看板だから、あのスタイルで良いけれど、君たちは絶対にマネをしてはいけないよ」と言われたそうだ。 また、篠田昌浩も、「カメラも動かず、画面も同じ小津映画のどこがいいのだ」と言われたそうだ。 その時、篠田は「小津映画は、戦前の絶対映画のようなもので、永遠に不滅です」と言い切ったそうだ。...

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