1995年は、1月に阪神淡路大震災が起き、オウム真理教団の搜索が行われ、その大騒ぎの中で3月に統一地方選挙が行われ、東京では青島幸男が、大阪では横山ノックがそれぞれに知事になった。
まるで、大騒ぎの中のドサクサだった。
この時、私は磯子区役所にいたが、選挙で青島が後出しジャンケンで勝利すると、日頃まったく政治に興味のない女性が、
大喜びして「やっぱり青島幸男よね」と言ったことにたいへん驚いた。
私自身で言えば、青島はむしろ好きでなく、その貧相な顔が嫌いで、どこか本気で喜んでタレント業をやっていないなと思っていた。
それは、永六輔、前田武彦らが喜々としてマスコミで活躍しているのと対照的に思えた。
青島幸男が、1968年に参議院全国区から出て、当選したとき、早稲田大学の映画研究会の連中が選挙を手伝ったと聞き、その時私はもう映研にはいなかったが、非常に不思議な気がした。
なぜなら、青島ほどの人間なら、選挙のプロではなく、学生という素人をなぜ使うのか、だったが、この本にも書かれているが、彼には本当に心を許せる親友もなく、さらに本来彼はケチなので、余計な金を使いたくなかったからだ。
そして、1977年に青島と作家の五木寛之は、参議院選挙で、自民党と社会党の保革伯仲が予想されるので、作家、文化人、タレント等を立てて全国区で数人を当選させれば、すでにいた無所属議員と合わせてキャスティング・ボードを握れると考えた。
その結果、矢崎泰久とばばこういちを事務局長として、革新自由連合・革自連が出来、10人の候補者を出したが、当選したのは結局青島幸男と横山ノックだけだった。
その後は、青島は革自連から離れ、次の選挙で中山千夏が当選すると、その間に亀裂ができて、中山と矢崎たちは、青島のマスコミ攻勢の中で、孤立し敗北する。
この本には、参議院議員から都知事への青島の悪行の数々が書かれているが、ここで見られるのは、ケチで権力欲のみしかないまったく面白みのない男である。
永六輔、井上ひさし、大橋巨泉らの批評も載っているが、どれも厳しいものである。
この本で驚いたのは、1977年の選挙の時、野坂昭如が選挙に出るなら、司馬遼太郎が事務長をやると言っていたことで、やはり戦争を実体験した司馬には、同じ焼け跡派の野坂への共感があったのだろう。
その稀代の天才で、戦後の日本の社会で活躍した青島幸男も、ガンには勝てず、2006年に死んでしまう。
まるで、大騒ぎの中のドサクサだった。
この時、私は磯子区役所にいたが、選挙で青島が後出しジャンケンで勝利すると、日頃まったく政治に興味のない女性が、
大喜びして「やっぱり青島幸男よね」と言ったことにたいへん驚いた。
私自身で言えば、青島はむしろ好きでなく、その貧相な顔が嫌いで、どこか本気で喜んでタレント業をやっていないなと思っていた。
それは、永六輔、前田武彦らが喜々としてマスコミで活躍しているのと対照的に思えた。
青島幸男が、1968年に参議院全国区から出て、当選したとき、早稲田大学の映画研究会の連中が選挙を手伝ったと聞き、その時私はもう映研にはいなかったが、非常に不思議な気がした。
なぜなら、青島ほどの人間なら、選挙のプロではなく、学生という素人をなぜ使うのか、だったが、この本にも書かれているが、彼には本当に心を許せる親友もなく、さらに本来彼はケチなので、余計な金を使いたくなかったからだ。
そして、1977年に青島と作家の五木寛之は、参議院選挙で、自民党と社会党の保革伯仲が予想されるので、作家、文化人、タレント等を立てて全国区で数人を当選させれば、すでにいた無所属議員と合わせてキャスティング・ボードを握れると考えた。
その結果、矢崎泰久とばばこういちを事務局長として、革新自由連合・革自連が出来、10人の候補者を出したが、当選したのは結局青島幸男と横山ノックだけだった。
その後は、青島は革自連から離れ、次の選挙で中山千夏が当選すると、その間に亀裂ができて、中山と矢崎たちは、青島のマスコミ攻勢の中で、孤立し敗北する。
この本には、参議院議員から都知事への青島の悪行の数々が書かれているが、ここで見られるのは、ケチで権力欲のみしかないまったく面白みのない男である。
永六輔、井上ひさし、大橋巨泉らの批評も載っているが、どれも厳しいものである。
この本で驚いたのは、1977年の選挙の時、野坂昭如が選挙に出るなら、司馬遼太郎が事務長をやると言っていたことで、やはり戦争を実体験した司馬には、同じ焼け跡派の野坂への共感があったのだろう。
その稀代の天才で、戦後の日本の社会で活躍した青島幸男も、ガンには勝てず、2006年に死んでしまう。