1960年に作られた小津安二郎監督作品。
筋は、例によってほとんどどうでも良い中身で、ここでは母親原節子が、娘の司葉子をどうやって嫁にやるかが主題になっている。
言わば『晩春』の母子版になっている。
東京タワーが見える寺なので、芝あたりだが、原節子が施主で法事が行われていて、大学時代の友人の佐分利信、中村伸郎、北竜二が集っているが、法事後の鉢洗いの席で、娘司葉子の結婚のことが話題になる。
今では、言うまでもなくセクハラだが、当時から1990年代頃までは、20歳を過ぎた頃は、女性の場合は嫁入り先が話題にされたものである。
また、当時は結婚すればたとえ勤めていても、女性は会社等を辞めるのが普通で、給与も受けられないので、早く職のある男と結婚するのが当然のことだった。
今とは環境はまったく異なっている。
さて、原節子は、東大の前の薬屋の娘で、佐分利、中村、北が恋焦がれていたが、死んだ三上が原と結婚したのである。
ここでも、一応3人の男たちの戦前派と、司葉子、岡田茉利子、さらに年下の桑野みゆき、男では佐田啓二、渡辺文雄、三上真一郎らとの結婚観の違いが表現されている。
要は、戦後派は、ドライで軽いのである。
司をその気にさせるために、原に北との結婚の話しのことを作り出すが、すべては嘘で、結局司を佐田啓二と結婚させるためのたくらみと分かる。
この辺の岡田茉利子が3人の老人たちに抗議に来て、最後は理解し、和解するのを見ると、この映画の製作されたのが1960年秋ということは、微妙な意味を感じずにはいられない。
1960年は、60年安保と松竹ヌーベルバーグの年であり、小津安二郎は、戦前派、戦後派の双方に妥協と和解を希望しているように見える。
もちろん、最後は盛大に結婚式が挙行されてエンド。
小津の映画は、この作品のように細部はほとんど同じで、出演者も同じである。
これはどういう意味なのだろうか。
要は、座付作者なのである、松竹という会社の。
江戸時代からの歌舞伎の作者たちは、ほとんど同じ筋書きの劇を、その時々の役者、座組みの趣向等に合わせて、書き換えて来た。
小津作品はほとんどそうしたものなのだろうと思う。
それは、マキノ雅弘や井上梅次らが、常に同じ筋書き、役割の俳優によって同じ趣向の作品を何本も作ってきたことと同じだと思う。
さらに、そうした座付作者としての仕事をずっと松竹大船で果たしてきたのは、映画『男はつらいよ』での山田洋次であることは言うまでもない。
筋は、例によってほとんどどうでも良い中身で、ここでは母親原節子が、娘の司葉子をどうやって嫁にやるかが主題になっている。
言わば『晩春』の母子版になっている。
東京タワーが見える寺なので、芝あたりだが、原節子が施主で法事が行われていて、大学時代の友人の佐分利信、中村伸郎、北竜二が集っているが、法事後の鉢洗いの席で、娘司葉子の結婚のことが話題になる。
今では、言うまでもなくセクハラだが、当時から1990年代頃までは、20歳を過ぎた頃は、女性の場合は嫁入り先が話題にされたものである。
また、当時は結婚すればたとえ勤めていても、女性は会社等を辞めるのが普通で、給与も受けられないので、早く職のある男と結婚するのが当然のことだった。
今とは環境はまったく異なっている。
さて、原節子は、東大の前の薬屋の娘で、佐分利、中村、北が恋焦がれていたが、死んだ三上が原と結婚したのである。
ここでも、一応3人の男たちの戦前派と、司葉子、岡田茉利子、さらに年下の桑野みゆき、男では佐田啓二、渡辺文雄、三上真一郎らとの結婚観の違いが表現されている。
要は、戦後派は、ドライで軽いのである。
司をその気にさせるために、原に北との結婚の話しのことを作り出すが、すべては嘘で、結局司を佐田啓二と結婚させるためのたくらみと分かる。
この辺の岡田茉利子が3人の老人たちに抗議に来て、最後は理解し、和解するのを見ると、この映画の製作されたのが1960年秋ということは、微妙な意味を感じずにはいられない。
1960年は、60年安保と松竹ヌーベルバーグの年であり、小津安二郎は、戦前派、戦後派の双方に妥協と和解を希望しているように見える。
もちろん、最後は盛大に結婚式が挙行されてエンド。
小津の映画は、この作品のように細部はほとんど同じで、出演者も同じである。
これはどういう意味なのだろうか。
要は、座付作者なのである、松竹という会社の。
江戸時代からの歌舞伎の作者たちは、ほとんど同じ筋書きの劇を、その時々の役者、座組みの趣向等に合わせて、書き換えて来た。
小津作品はほとんどそうしたものなのだろうと思う。
それは、マキノ雅弘や井上梅次らが、常に同じ筋書き、役割の俳優によって同じ趣向の作品を何本も作ってきたことと同じだと思う。
さらに、そうした座付作者としての仕事をずっと松竹大船で果たしてきたのは、映画『男はつらいよ』での山田洋次であることは言うまでもない。