1958年、松竹で作られた小津安二郎映画で、ここからカラーになる。前作『東京暮色』が非常に暗い作品で、小津自身は自信があったにもかかわらず、大変に不評だったので、ここではカラー画面に合わせて明るく軽いコメディーにしている。
その結果、『東京暮色』は、キネマ旬報ベストテンで19位だったのに対して、3位にランクされることになる。
だが、用心深く作品を見ると、ここには『東京暮色』で扱った題材が再び出てくることに気づくだろう。
小津は、結構執念深い人間なのである。
映画は、華やかな結婚式の披露宴の場面から始まり、友人中村伸郎の娘の式で、主人公の佐分利信が祝辞を述べているが、自分と妻田中絹代との結婚など、はなはだ味気ないもので親の決めたままに一緒になったと言っている。
昭和30年代までの日本の結婚は、多くは親や親戚等を介した見合い結婚だったのだから、そのようなものだっただろう。
中村と佐分利は、互いの友人の笠智衆が来なかったことを、披露宴の後の酒席で、北竜二らと話しているが、その理由は笠の娘のことだという。
この酒席の冗談が非常に面白く、いつもの高橋とよも出て来ただけで笑わせてくれる。
翌日、笠が佐分利の会社に現れ、娘が家を出て男と同棲しているとのこと。
これは、明らかに『東京暮色』の笠智衆の娘で、田浦正巳と出来ていて妊娠してしまい最後は自殺してしまう筋を引きずっている。
家に戻ると、長女が有馬稲子で、佐分利はそろそろ彼女を結婚させようと知り合いの花婿候補のことなどを田中絹代と話しているが、有馬はまだ特定に人はいないと言う。
次女が桑野みゆきで、ここではまだ幼いが、2年後には大島渚の『青春残酷物語』で、不良少女になってしまうのだ。
佐分利のところには、京都から旅館をやっている山本富士子・浪花千枝子が出てきて、そこも結婚話しが出ている。
山本と有馬は友人で、互いに協力しようと約束し、これが最後に佐分利に結婚を納得させるヒントになる。
佐分利は、笠智衆の娘久我美子が務めている銀座のバーに行くが、ここは『東京暮色』に出てくる銀座のバー・ガーベラと全く同じインテリアで、マダムも桜むつ子で同じなのも笑える。
久我は、父は頑固で古いと言い、仕事の後、佐分利と久我は中華料理屋に行くが、「珍珍軒」で、これも『東京暮色』で藤原釜足が主人だった店の名で、元は松竹蒲田の近所にあった店だそうだ。
夫は音楽家だが、今はキャバレーでピアノを弾いている渡辺文雄で、佐分利は、ここでは若い二人に好意を持つ。
ある日、佐分利の会社に佐田啓二が来て、有馬と結婚させてくれといきなり言う。
藪から棒に言われてもと反発する佐分利に、会社で急に転勤することになったので、言いに来たと言うが、そんなの俺は知らないと愈々有馬の結婚に反対すると田中と有馬に宣言する。
要は、ここでも娘、つまり戦後派の連中への反発が、この作品の主題であり、小津は前作『東京暮色』を重く引きづっていたのである。
ラストは、勿論、佐分利も式に出て、転勤先の広島にも行くところで終わる。
結論は、小津は、戦後派の連中と妥協し、和解することにしたのである。
その理由は、彼らが日本の映画界でも大きな地位を得て来たことである。
だが、この映画のラストは非常に幸福感に包まれるが、その幸福感は、当時の日本映画界の繁栄が現れていると思う。
周知のことだが、この1958年は日本映画が最高の年だったのである。
その結果、『東京暮色』は、キネマ旬報ベストテンで19位だったのに対して、3位にランクされることになる。
だが、用心深く作品を見ると、ここには『東京暮色』で扱った題材が再び出てくることに気づくだろう。
小津は、結構執念深い人間なのである。
映画は、華やかな結婚式の披露宴の場面から始まり、友人中村伸郎の娘の式で、主人公の佐分利信が祝辞を述べているが、自分と妻田中絹代との結婚など、はなはだ味気ないもので親の決めたままに一緒になったと言っている。
昭和30年代までの日本の結婚は、多くは親や親戚等を介した見合い結婚だったのだから、そのようなものだっただろう。
中村と佐分利は、互いの友人の笠智衆が来なかったことを、披露宴の後の酒席で、北竜二らと話しているが、その理由は笠の娘のことだという。
この酒席の冗談が非常に面白く、いつもの高橋とよも出て来ただけで笑わせてくれる。
翌日、笠が佐分利の会社に現れ、娘が家を出て男と同棲しているとのこと。
これは、明らかに『東京暮色』の笠智衆の娘で、田浦正巳と出来ていて妊娠してしまい最後は自殺してしまう筋を引きずっている。
家に戻ると、長女が有馬稲子で、佐分利はそろそろ彼女を結婚させようと知り合いの花婿候補のことなどを田中絹代と話しているが、有馬はまだ特定に人はいないと言う。
次女が桑野みゆきで、ここではまだ幼いが、2年後には大島渚の『青春残酷物語』で、不良少女になってしまうのだ。
佐分利のところには、京都から旅館をやっている山本富士子・浪花千枝子が出てきて、そこも結婚話しが出ている。
山本と有馬は友人で、互いに協力しようと約束し、これが最後に佐分利に結婚を納得させるヒントになる。
佐分利は、笠智衆の娘久我美子が務めている銀座のバーに行くが、ここは『東京暮色』に出てくる銀座のバー・ガーベラと全く同じインテリアで、マダムも桜むつ子で同じなのも笑える。
久我は、父は頑固で古いと言い、仕事の後、佐分利と久我は中華料理屋に行くが、「珍珍軒」で、これも『東京暮色』で藤原釜足が主人だった店の名で、元は松竹蒲田の近所にあった店だそうだ。
夫は音楽家だが、今はキャバレーでピアノを弾いている渡辺文雄で、佐分利は、ここでは若い二人に好意を持つ。
ある日、佐分利の会社に佐田啓二が来て、有馬と結婚させてくれといきなり言う。
藪から棒に言われてもと反発する佐分利に、会社で急に転勤することになったので、言いに来たと言うが、そんなの俺は知らないと愈々有馬の結婚に反対すると田中と有馬に宣言する。
要は、ここでも娘、つまり戦後派の連中への反発が、この作品の主題であり、小津は前作『東京暮色』を重く引きづっていたのである。
ラストは、勿論、佐分利も式に出て、転勤先の広島にも行くところで終わる。
結論は、小津は、戦後派の連中と妥協し、和解することにしたのである。
その理由は、彼らが日本の映画界でも大きな地位を得て来たことである。
だが、この映画のラストは非常に幸福感に包まれるが、その幸福感は、当時の日本映画界の繁栄が現れていると思う。
周知のことだが、この1958年は日本映画が最高の年だったのである。