『人生劇場・第1・2部』
今回の佐分利信特集で見たかった作品。戦後1952年、東映の発足後すぐに作られたもので、脚本は八木保太郎、監督佐分利信、音楽は早坂文雄、美術が松山宗という一流のスタッフの大作。 主人公の青成瓢吉は、船橋元で、彼は東映から新東宝に行き、『戦艦大和』などでスターとして活躍した。新東宝の倒産後はテレビに出ていたが、ピンク映画も作っていたらしい。比較的早く亡くなった。...
View Article『東京暮色』の踏切
非常に気になる小津安二郎の映画に『東京暮色』がある。高橋治の『絢爛たる影絵』でも酷評された作品だが、そうひどいとは思えない。 ただ、当たらなかったのは事実のようだ。 この映画で気になるのは、最後有馬稲子の秋子が、事故死のような自殺のような死をとげてしまう踏切のことである。...
View Article『ピンク映画史』 二階堂卓也 彩流社
今年は、1964年の東京オリンピックから50年だったが、このオリンピックを国民こぞってテレビで見ている中、大ヒットしていたのは、吉永小百合と浜田光夫の『愛と死を見つめて』だった。 さらに、勝新太郎の『座頭市』、そしてピンク映画も町の片隅でヒットしていたのである。...
View Article傑作と凡作 『船方さんよ』と『お富さん』
久しぶりに行った神保町シアターで、2本見る。 勝新主演の『お富さん』は、歌舞伎の「源氏店 げんやだな」をほとんど無視した愚作だったが、三波春夫の『船方さんよ』は、脚本が柳沢類寿、監督小杉勇、勿論音楽は小杉太一郎で、非常によくできた傑作だった。 これだから映画は、見てみないと本当にわからない。...
View Articleハーブ酔いの若者たち
先日、渋谷のシネマヴェーラに『人生劇場・第2部』を見るために、駅から109前を急いでいた。 すると、センター街から、足取りがフラフラしている若者3人が現れた。 酔っているのかとも思ったが、まだ朝の10時すぎで、顔色も普通なので、酒酔いではないようだ。 「ああ、これがハーブで酔っている連中なのか」と思った。 何とかして、追い抜いてシネマヴェーラに急いだ。...
View Articleミステリアンの出入り口を見た
先日、いつものバスツアーで、富士五合目と青木ケ原樹海に行った。 大変な好天気で、五合目からは、富士の頂上と共に、北アルプスの山々も見えた。 小御嶽神社で、英語のおみくじを買うと大吉で、英文では「Exellent」となっていた。 下って青木ケ原樹海の氷穴に行くが、途中でストップ。 前方で交通事故があり、救急車、消防車が行く。...
View Article甲子園常連校では
日本シリーズは、阪神が4連敗して、ソフトバンクの勝ちで決まってしまった。 いつもどちらが勝っても、4勝3敗にして欲しいと願っている私は残念な結果だった。 そして、やはりキーマンは松田と西岡だった。 広岡達朗は、西岡について「要はお調子者ですよ」と言っており、松田もかなり調子に乗りやすいタイプの選手のようだ。...
View Article武蔵小杉、お前もか
夕方、神保町の岡田則夫さんのいにしえ書房に行き、先月の「1964年東京オリンピックの頃」のためにお借りしたSP盤を返しに行く。 東大史料研究所の杉山さんもいて、いにしえ書房の応接間であるヴェローチェで話す。 中心は、いかに都市からスラムのような地域がなくなっているかとのこと。...
View Article「ボリビアってカリブ海のどこにあるの?」
横浜市の中田宏前市長について、すでに退職されているH氏からお聞きした話。 ある日、H氏は、市長室に来るよう中田市長から電話を受けた。 行くと、東京からボリビア大使が来ていた。 要件は、「横浜市にスペイン語の学校を作りたいので協力してほしい」とのことだった。 「もちろん、結構なお話だが、例の朝鮮人学校の問題もあり、外国人学校に直接の支援はできない」と答えると大使もご理解された。...
View Article『雪子と夏代』
1941年8月に公開された東宝映画作品、原作吉屋信子、脚本は八住利雄、監督は青柳信雄で、入江たか子と山田五十鈴の共演。 夫に死なれた夏代の山田五十鈴は、一人息子を婚家に残せというのを振り払って、一人で息子を育てて行くと家を出る。 行く先は、田園調布で洋裁店・スワンをやっている、これも未亡人雪子の入江たか子。 彼女は戦争未亡人らしい。 そこには、入江の義妹・谷間小百合もいて、彼女も洋裁をやっている。...
View Article「市有地でピンク映画をやるのはよくない」
横浜市中区の吉田中学の前に長者町5丁目のバス停があり、その脇が市の外郭が運営する駐車場になっている。 実は、ここはかつて横浜東亜映画劇場という映画館だった。 戦後にでき新東宝の封切館で、『明治天皇と日露大戦争』をここで見たと聞いたこともある。 1962年に新東宝が倒産したので、洋画を上映していたこともあるが、じきにピンク映画を上映することになった。...
View Article『誰よりも君を愛す』
1960年8月に公開された大映作品、言うまでもなく松尾和子とマヒナ・スターズのヒット曲で、原作は川内康範、脚本舟橋和郎、監督田中重雄。 大映には当時二人の田中監督がいて、京都の田中徳三は面白いが、東京の田中重雄は古臭いという評判だったが、今見ると結構面白いにの驚く。 話は、テレビ局ディレクターの本郷功次郎とスチュアーデスの叶順子の恋物語。...
View Article東日本銀行は、風呂屋の無尽もやっていた
日経速報に、横浜銀行と東日本銀行が経営統合することが出ていた。 東日本銀行は、その前身は常磐無尽で、「お風呂屋さん仲間の無尽をやっていた」と、元は風呂屋だった屏風浦の飲み屋夕凪できいたことがある。 無尽講というのは、今は少なくなったが、江戸時代からある庶民の金融システムであり、韓国ではまだ盛んに行われているそうだ。 中区長者町に、今は東日本銀行支店があるが、その隣はソープランドになっている。...
View Article『東京暮色』の踏切の撮影場所がわかった
前に、小津安二郎の映画『東京暮色』で、有馬稲子が自殺のような踏切事故を起こす場所は、どこで撮影されたのかと書いた。 その後、ネットで調べるとすぐに分かった。 それは、大船駅から鎌倉よりに少し行った横須賀線の高架だった。 映像のとおり、上を線路が走り、下にも線路がある。 それは、国鉄の大船工場に行く引込線で、それの踏切もある。...
View Article1936年は大変に興味深い年である
今朝の東京新聞に、戦前洲崎にあった洲崎球場のことが出ていた。 1936年にでき、日本最初の野球専用球場で、伝説の巨人・阪神戦(当時は大阪タイガース)で、沢村英治が快投をしたところである。 私の知人の父は、約30年近く前に亡くなられたが、子供の時、「洲崎や上井草球場で沢村を見たことがある」と言っていた。...
View Article桂小金治「アフターヌーン・ショー」に出たことがある
桂小金治が亡くなったが、彼の番組『アフターヌーン・ショー』にガヤとして出たことがある。 1967年、大学2年の秋、ある日劇団の部室に行くと、制作が「テレビに出て劇団に金を入れるから行こう」と言い、当時六本木にあったNETテレビに行った。今のテレビ朝日である。...
View Article『バンドワゴン』
部分的には、『ザッツ・エンターテインメント』などで見ていたが、通して全部見たのは初めて。 アステアやチド・チャリシーらのダンスが凄いのは、いまさらだが、脚本も非常に上手く出来ている。 バンドワゴンとは、楽隊を乗せた馬車のことで、バンドの元は宗教の宣伝隊のことであろう。...
View Article『ピアニストを撃て』
昔、テレビの深夜番組で見てよくわからなかったので、「トリフォー映画祭」を黄金町のシネマ・ジャックがやつているので見に行く。 よく、ヒチコック、ハワード・ホークスらの暗黒ものからの影響が言われるが、むしろ作品としては、小林旭や高橋英樹が演じた日活の暗黒ものように見える。 元々日活のアクション映画も、アメリカ映画のいただきだつたのだから、似ているのも当然なのだが。...
View Article『ディケイシア』
題名は、どういう意味かわからない。 アメリカの各地で所有していた劣化したサイレントのフィルムをコラージュしたもの。 2001年に、スイスで上映されたライブ・パフォーマンスの音楽付き。 いきなり、トルコの旋回舞踏から始まる。イスラム教の一派の「スフィー教」のもので、1970年代に日本にも国際交流基金の招聘で来て、公演を行った。...
View Articleニコは、法華宗なのか 『アンディ・ウォホール・プログラム』
いつもは高齢者映画館のフィルムセンターに若い女性が多い。アンディ・ウォホールは、今でも著名なのだろうか。 日本で言えば、寺山修司みたいなものだろうか。 私の次女によれば、同級生は寺山修司や蜷川幸雄はよく知っているが、清水邦夫はほとんど知られていないそうだが。 最初のフィルムは、4人の女性のスクリーン・テストで、じっと正面から撮影したもの。...
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