ミーハーで何が悪いの
このブログに対して無意味な悪口があったが、その中で「お前はただのミーハーだ」というのがあった。 だが、これは声を大にして言いたいが、「ミーハーでなにが悪いの」とお聞きしたい。 大衆文化評論家であり、通俗的なものは元々大好きである。 ただ、重要なのはその次である。 昭和20年代に、劇作家の三好十郎は、新劇の若手連中に次のように講演している。...
View Article『火のように淋しい姉がいて』
清水邦夫作のこの劇の初演は、1978年で山崎務、岸田今日子、松本典子らの木冬社の公演、演出は秋浜悟史だったが、この時は私は見ていない。 意外にも古い戯曲で、『朝に死す』や『タンゴ、冬の終わりに』などよりも前の作品なのには驚いた。 私が見たのは、1996年の再演の時で、今年死んだ蟹江敬三の主演で、妻は樫山文枝、姉はこれも今年亡くなった松本典子で、清水邦夫自身の演出だった。...
View Article『坑道の記憶』
九州の筑豊で、炭鉱の絵を描き続けた山本作兵衛のことを描いた記録映画である。 飯塚で、川船の船頭の子として産まれた作兵衛は、鉄道の発達で船による石炭の運搬が廃れ、父が炭鉱夫になったことから、尋常小学校の途中で自分も働くことになる。 筑豊で36の中小炭鉱で働き、66歳で抗夫をやめ、炭鉱の夜警になってから、筑豊の炭鉱で働く人びとの姿を彩色画で書くようになり、その数は1,000以上を書いた。...
View Article広岡が原巨人を批判
ネットによれば、日刊ゲンダイで、広岡達朗が「今年の巨人には優勝する資格がない」と言ったそうだ。 そりゃその通りである。いくら選手が余っているからと言え、4番にはいったい何人が入ったのだろうか。 村田、阿部、セペタ、そしてついには高橋伸由と、信じがたいことである。 4番が日替わりのチームで優勝したのはあっただろうか。...
View Article『さよなら三角』
先週の朝日新聞のBEにわらべ歌「さよなら三角 」のことが出ていたが、これを題名にしたテレビ・ドラマがあった。 1960年代前半でNHK、脚本は田村孟で、彼はこの時期、大島渚らと共に松竹を出て、フリーで活躍していた。 地方の中学校を舞台にしたドラマで、主人公が安保闘争に挫折した男の恋愛悲劇だったと記憶している。...
View Article山口淑子、死去
女優で歌手、戦後は参議院議員も務めた山口淑子が亡くなられた、94歳。 彼女は、日本人でもあるにもかかわらず、日満友好の象徴として、満映で、中国人女優李香蘭としてスターになり、映画『支那の夜』は日本でも大ヒットした。 この時、彼女が来日し、日劇で行ったショー『歌う李香蘭』は日劇を7重の群集が取り巻いたことで有名である。 だが、この時、共演の長谷川一夫は、...
View Articleバラカン・モーニング終了
インターFMの朝の人気番組「バラカン・モーニング」が9月で終了するそうだ。 退職後、朝のラジオを聞くが、このバラカンのDJほど、幅広く世界中の音楽を紹介している番組はないと思う。 外出時も、スマフォでラジオを聞くことがあるが、NHKも含めて低能なDJがただ浮かれているのが多いのに対して、バラカンさんは、別格だった。 いずれ、どこかでまた聞ける日が来ると思う。 悲観しないで、待つことにしたい。
View Article『プロキノ作品集』
プロキノとは、日本プロレタリア映画同盟で、日本プロレタリア文化連盟の下にあって、左翼的新興芸術を担ったが、勿論日本共産党の強い影響にあった。 1929年ごろの結成され、何度も弾圧を受け、1934年に消滅した。 その後、メンバーは、プロデューサーの松崎啓次や、監督の木村壮十二は、PCLに入り、中心スタッフとして活躍する。...
View Article若秩父、死去
今朝の新聞に若秩父が亡くなったことが出ていた。75歳。 若秩父と言っても、60代以上の人しか知らないだろうが、非常に人気が、特に子供たちに大変人気があった関取だった。 元関脇と書いてあったが、関脇まで行っていたとは知らなかった。 今の遠藤よりも、はるかに人気があったと思う。 その証拠に、大島渚が、1959年に作った松竹の若手スターの紹介映画『明日の太陽』では、...
View Article戦場ではできないそうだ
今、日本国民の敵、諸悪の根源の朝日新聞だが、作家保阪正康さんの本『現代史の深層』に従軍慰安婦について、大変興味深いことが書かれていた。 彼は、実際に多くの日本兵に取材し、慰安婦とのことをまとめている。 それによれば、実際の戦場の最前線にいるときは、一切性欲がおきず、慰安婦を相手にしようなどという気がおきなかったとのこと。...
View Article『エデンの園』
今回のフィルムセンターの増村保造特集でも上映されなかった問題作。 フィルムは行方不明らしいが、ビデオはあり、取り寄せで見ることができた。 確かに、聞きしにまさるひどい作品だった。 ローマの貧困家庭でスリの若者が、金持ちの娘を引掛け、初めは嫌いだった娘も、セックス後は、次第に強く引かれる。 そこに強欲な兄や母が絡んできて、というものだが、少しも面白くなくて、ばかばかしさが目立つってくる。...
View Article軽演劇3本
軽演劇とは誰が言いだしたかは知らないが、比較的に言えばアメリカのコメディー映画に影響を受けた喜劇のことだろう。 似た言葉にアチャラカというのがあり、これは古川ロッパが言いだしたものらしい。 さて、今回必要があって3本見たが、残念ながらどれも面白いものではなかった。 最初は、浅草木馬座の『浅草パラダイス』...
View Article戦前、戦後の日本の記録映画 『世界は恐怖する』ほか
川崎市民ミュージアムが所蔵する記録映画が上映された。 まず、亀井文夫の『小林一茶』、見るのは3度目だが、やはり画面の構成がきれいで、字幕、ナレーションのはさみ方のリズムが良い。...
View Article戦後の記録映画4本
川崎市民ミュージアムで、戦後の記録映画4本。 まずは、亀井文夫監督の『流血の記録・砂川』 1951年の立川基地拡張工事の際の「砂川闘争」の記録。 前年の記録も冒頭に少しあり、この年の10月に行われ、最後は工事断念に至る砂川闘争の記録で、警官隊とデモ隊の衝突がまるでアクション映画のような迫力。これは、昨年立川の柴崎学習館、さらにその前にフィルムセンターでも見たことがあるが、少しづつ違うように見えた。...
View Article横浜米油とは何か
今朝の東京新聞に、横浜駅東口に「日本最初のガソリンスタンド」の碑があるとの記事があり、そこに横浜米油のことも出ていた。 この横浜米油という会社については、2008年2月に次のように書いた。...
View Article省エネ芝居『テンペスト』からマイク使用について
今、出ている雑誌『ミュージック・マガジン』の「ポイント・オブ・ビュー」欄に、このブログの5月20日にも書いた、新国立劇場公演『テンペスト』から、最近の演劇でのマイクの使用について書きました。 本来、ミュージカル等以外の演劇でマイクを使うのは、邪道であり、間違いだと思っています。
View Article大変な熱狂だった開戦期
岸輝子という女優がいた。言うまでもなく千田是也の妻で、俳優座の創立メンバーの一人だった。 私たちが知っているのは、うるさい意地悪そうなおばさん役だが、信じられないことに、戦前の昭和初期では、東京のモダンガールの一人として有名だったらしい。 もっとも、その頃は千田ではなく、やはり築地小劇場の役者だった東明三郎と一緒だったのだが、東明は急死して千田と結婚することになる。...
View Article『アグネス・ラムのいた時代』 長友健二 中公新書
アグネス・ラムと言っても、もう知らない人の方が多いに違いない。 大人気の水着アイドルで、多分いわゆる巨乳アイドルの元祖になるのだろう。 最初は、エメロンのCMだったそうだが、すぐに水着が男性誌で人気になり、なにしろ東映が映画『太陽の恋人』を作ったくらいなのだから。さすがに私も見ていないが。...
View Article「朝日新聞は面白い」
「朝日新聞は読みごたえがあって面白い」と言ったのは、30年以上前に結婚した時の女房である。 私の父は、大仏次郎あたりを尊敬する保守派の教育者だったが、新聞は戦前から朝日新聞だったようだ。 読売など、まったく問題ではなかったようで、一時期勧誘員にひどく勧められたのと、『少年ケニヤ』が掲載されていたので、長兄の希望で産経新聞も取っていたこともあったが、それが終わると元の朝日新聞だけに戻った。...
View Article『大氷河を行く 南米パタゴニア探検』
昨日は、日本の山岳映画で、『マナスルに立つ』も上映されたが、これは見ているので『大氷河を行く』を見る。 1957年、毎日新聞の後援で、チリのパタゴニアの氷河とその上の頂上への登山をした時の記録で、製作は毎日映画社で、内田吐夢の監修、台本は古谷綱正。 音楽は団幾玖麿のフルオーケストラ曲がずっと流れていて少々うるさい気もするが、全体に非常に金をかけた映画になっている。 公開は洋画系の映配。...
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