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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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小津安二郎は、やはりモダンボーイだった

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12月12日は、小津安二郎の誕生日であり、同時に60歳で亡くなった日でもある。

それを記念して、お茶の水で、『東京物語』以降の小津作品の音楽のほとんどを担当した斎藤高順(さいとうたかのぶ)の作品を聴き、また故人を語るイベントが行われた。

                       

 

息子や娘さんたちも音楽家なので、音楽関係者が多かったが、映画の若き研究者では、一橋大の正清さんが来ておられた。

少年時代のことが紹介されたのは、貴重な情報で、生家は深川の酒屋で、大変裕福だったようだ。この辺の東京の下町の富裕な家の育ちは、小津安二郎とも共通するところで、おそらく二人は相通ずるところがあったのだろうと思う。

生来体が弱く、音楽好きからピアノを習い、東京音楽大学作曲科に入る。同期は、芥川也寸志、奥村一らで、一つ上に団伊玖磨がいたそうだが、戦後彼らは全員映画音楽で活躍することになる。

勿論、戦時中で当然にも徴兵されるわけだが、音楽大学の学長と陸海軍軍楽隊長との話し合いで、彼らはそれぞれ軍楽隊に入隊することになり、戦禍を免れることになる。

これは、団伊玖磨原作で、加山雄三主演で作られた『戦場に流れる歌』になっている。

戦後、斎藤は、主にラジオの仕事をしていたが、松竹の音楽監督の吉沢博に紹介され、1953年に大船撮影所で小津安二郎に初めて会い、

「今まで映画音楽はやったことはない」と言うと、

「そりゃいい」と即決される。

そして、「お天気のいい音楽」を小津の注文の通りに、遺作の『秋刀魚の味』まで書くことになる。

それは、よく知られた「サセ・レシア」で、「サセ・パリ」と「バレンシア」を基にした、宝塚的で軽快なポルカなのである。

また、小津安二郎が愛好したのは、『ビア樽ポルカ』や 『モン・パリ』だそうで、まさに戦前のモダニズムである。

さらに彼自身が酔った時に唄ったのは、『戦友の遺骨を抱いて』と『湯島の白梅』とのことで、前曲は、『お茶漬の味』で笠智衆が万感の思いを込めて歌うが、やはり中国で兵役に就いたことのある小津の実感だったのだろう。

戦後の小津安二郎の映画は、復員してきてすぐの『長屋紳士録』は除き、本当に小津安二郎映画と言えるのは、実は『風の中の牝鶏』と『東京暮色』だけではないかと私は思っている。

他の作品は、野田高梧映画であり、その成立には、気持ちの良い斎藤高順の音楽が大きな役割を果たしていたことを再確認した。

エスパス・ビブリオ


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