戦後の小津安二郎映画では、娘を親が嫁にやる話が非常に多い。だが、その嫁に行く女性の相手の男は、姿を現さないことがあり、これはよく考えると大変不思議である。
戦後最初の傑作と言われる『晩春』では、笠智衆が娘の原節子を嫁にやる話で、そのために笠が三宅邦子と結婚するとの嘘を言う。
そして、笠と原が京都旅行に行き、あたかも近親相姦とも思われるような親子の濃密な場面が展開されるが、私はここに近親相姦的意識はないと思う。
父と娘の近親相姦的意識と言うのは、1960年代以降日本でも考慮されるようになったものであり、この時の小津安二郎に、そうした意識はないと思う。
そして、原節子は、叔母の杉村春子が持ってきた男と見合いをしたらしく、この婚姻が成立して、原節子は、高島田姿で鎌倉の家から出ていく。
だが、その相手の男は、杉村春子によれば、佐竹熊太郎という名前を教えられるが、実際の姿は一切出てこない。
それは、遺作の『秋刀魚の味』でも同じで、岩下志麻は、兄佐田啓二の会社の同僚の吉田輝男が好きだったが、彼にはすでに相手が決まっていると聞き、父が持ってきたお見合い話に乗って結婚して行く。
ここでも相手の男の姿は一切ない。
その理由は、どうしてだろうか。
それは、拙書『小津安二郎の悔恨』に詳述してありますので、是非お読みください。
どうぞよろしくお願いいたします。