鯨神と呼ばれる、獰猛で巨大な鯨と鯨取りたちの戦い。
反捕鯨思想が瀰漫している現在では絶対に作られない大変貴重な作品である。
監督は大映京都の田中徳三で、驚くのは原作が宇野鴻一郎で、なんと芥川賞作品である。
彼は、この頃は確か女子高校の先生をしながら、純文学を書いていたが、1970年代は「私、・・・なんです」の口調で大ヒットし、マン・ポルノにもなった。
私は、捕鯨、反捕鯨のどちらにも属しないつもりだが、一般的に言って「食文化」は、その人種、民族の固有文化の最たるもので、それを他の文化に属する人間がどうこう言うのはきわめておかしなことだと思う。
第一に、歴史的に最も鯨類を捕獲したのは、多分アメリカであり、それは食用ではなく、機械油用だった。
19世紀末の産業革命は、西欧世界に機械文明を発達させ、当時はまだ石油が発見されていなかったので、機械油は、動植物の油だった。
菜種油などだが、量が不足したので、大量に取れる鯨の油が最適とされたのである。
だから、西欧では鯨の肉は食べないので全部捨てていて、脂肪のみを採取していた。
幕末に提督ペリーが来て、日本を開国させたのも、太平洋での捕鯨船のための薪と水の補給基地が目的だった。
それほど、日本周辺には鯨が多く、今でも北品川には、鯨塚があるほどで、江戸時代には鯨は、東京湾で取れたのだ。
さて、映画は、鯨神が来て、善玉の本郷功次郎と悪人の勝新太郎が、共に巨大クジラに挑戦し、結局二人共死んでしまう。
だが、最後、本郷の妻藤村志保が生んだ子は、実は勝新との間の子であり、そのことを勝新の死を覚悟した鯨への戦いで悟る。
そして、本郷は悪人勝新を許して死ぬ。
だが、この巨大な鯨に小人のような人間が戦いを挑んで行くのは、巨大な戦艦に体当たり攻撃をした日本軍のようにも見える。
監督の田中徳三は、市川雷蔵作品など、明るい時代劇が多いが、ここでは非常に荘重かつ重厚である。
学徒兵ちおして出征したが生還してきた監督田中徳三自身の、死んだ戦友たちへの想いがあるように見えたのは、私だけだろうか。
神保町シアター