一昨日、松竹の1961年の『花扉』を見ていて、主人公の四一財閥の娘初名美香の父親は、四一財閥の当主で、 なにもしていないのは笠智衆で、「自分でなにもしていない」と言っている。
それは、小津安二郎の遺作の『秋刀魚の味』でも同じで、川崎の石油会社の監査役の笠智衆は、女性秘書らからは、「だれも見ないのに、きちんと見ている」とうわさされているほど無意味な存在である。
戦後の松竹映画の笠智衆は、無力で無意味な男、父親だったと思う。
だが、それが戦中期までの日本の父親だったように思うのだ。
無権力で無意味な存在、まるで天皇のように思える。
無力だからこそ強いのが天皇だと私は思うのだ。