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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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霧プロと『迷走地図』

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霧プロとは、松本清張が、野村芳太郎らと作った製作プロダクションで、松竹と連携して映画やテレビドラマを製作した。もともとは、松本清張が自分の小説『黒地の絵』を映画化するために作った会社で、以下のとおりだった。

霧プロは、松本清張の小説『黒地の絵』を映画化することを目的に設立されたのだが、これが実に問題の小説だった。1950年7月に、朝鮮半島に送られる黒人兵が小倉市で反乱を起こした事件を基にしている。黒人兵に乱暴された女性が、朝鮮から送られてきた兵士の死体に、その本人を発見するという話である。松竹の監督のみならず、東宝の森谷司郎らも映画化を企画し、海外で撮影することなども考慮したが、結局できず、その間に野村芳太郎は、他の作品に行ってしまい、終には松本も1992年に倒れて7月に死んでしまう。私は、この話は映画化されなくて良かったと思っている。もし、米国で公開されたら、人種差別だと批難されたにちがいない。そもそも、黒人兵たちが、祇園太鼓の音に鼓舞され、本能を呼び覚まされて反乱を起こすと言う筋が、間違いの始まりなのだ。「小倉祇園太鼓」というのは、富島松五郎が「勇みコマ」などと言って勇壮に叩くものではなく、「カエル打ち」でずっと静かにやっていくものなのだ。あの映画『無法松の一生』の祇園太鼓は、岩下俊作の原作戯曲にもとずき、監督の稲垣浩が音楽担当と工夫して作ったものなのである。さらに、「アフリカの音楽イコール太鼓」という図式が、大間違いである。アフリカ内陸の小国のブルンディのドラムが有名で、日本にも何度も来ているが、ああいう勇壮なのは例外である。もちろん、アフリカ各地に太鼓はあるが、主に伝達用に使用されるもので、トーキングドラムのようにメッセージを伝えるもので、本能を呼び覚ますと言ったものではない。この辺のアフリカ音楽についての無知は、松本清張らの当時の日本人には仕方ない点もあるが、ひどいと言うしかない。

 

              

この1983年の映画も、まだ松竹と霧プロとの制作になっていて、まだ蜜月時代だったようだ。

公開時に見て、雑誌『ミュージック・マガジン』に批評を書いたが、実に面白いものになっている。

そっくりショー的な感じもあるが、中では田中角栄節で台詞を言う伊丹十三が一番笑わせる。

また、最後の方での、岩下志麻といしだあゆみの対決もさすがで、ここの演技はいしだの勝ちだろう。

この映画で一番驚いたのは、銀座のクラブのママの松坂慶子とレズビアン関係にある早乙女愛の巨乳で、こんな女になっていたのと思ったものだ。

大滝秀治、勝新太郎、津川雅彦、加藤武、朝丘雪路など、演技合戦で、非常に面白い。


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