山下ふ頭再開発を考えるにあたり、重要なことは、過去の横浜の近代で行われたことを検証することだと思う。
まず、幕末の開港のとき、攘夷派等の排外主義者から、外国人を守るために、吉田橋に関を設け、海側を関内地区とし、「関内、関外地区」を区分して、無事に開港を進めた。
そして、次第に日本全体が、排外主義から逃れて、明治の文明開化になり、横浜市と港は大発展した。
だが、1923年9月に起きた関東大震災は、横浜と港を壊滅させた。
このとき、横浜市というか、主に経済界だと思うが、その対応は優れたもので、大桟橋、新興ふ頭等の、国が行った復興事業に、25%も、横浜市として負担をしたのだ。
だから、国も、これをきちんと認めていて、今でも大さん橋、新興地区は、「国有転貸」という特別な制度で管理されている。
これは、同地区全部を、運輸省からいったん横浜市に貸し、その後に各民間企業に貸すという転貸制度なのだ。
これで、実は横浜市は、私が担当していたときでも、年間5000万円くらいの差益を上げていて、これは国も公認のことだった。
今後、山下ふ頭再開発についても、先人たちがやったことを参考にすればよいのではというのが、私の考えであるが、皆さんのご意見をいただきたい。