『パトリシア・ハイスミスに恋して』を見たので、『太陽がいっぱい』を見るが、その延長線上でルネ・クレマンの『危険なめぐり逢い』か『狼は天使の匂い』を見ようと思い探したが、すぐに見つからなかったので、ジョン・シュレシンジャー監督、ジュリー・クリスティ主演の『ダーリング』を見る。
1961年の『太陽がいっぱい』は、みな知っているだろうが、アメリカの貧しい青年トム・リプリーのアラン・ドロンが、サンフランシスコの富豪の父親から息子モーリス・ロネの帰国を5000ドルで頼まれて、イタリアに来る。最初は、彼の帰国を促そうとしていたが、ロネの自分への扱いに嫌気がさし、ヨットの船上でナイフで彼を刺し殺して、彼に成りすまそうとするが、最後ヨットのワイヤーに巻き付いた死体が引き上げられて殺人が暴露されるところで終わる。実は、原作はトム・リプリーは逃げ延びてしまうのだが。
監督のルネ・クレマンは、実はホモセクシュアルであり、彼のそうした傾向の延長線上に『危険なめぐり逢い』と『狼は天使の匂い』もあるのだが。
『ダーリング』は、1964年のイギリス映画で、女優志願のダーリング(ジュリー・クリスティ)が、テレビディレクターのダーク・ボガートと出会い、恋仲になるが、ロンドンの世界企業の社長らと知り合い愛するが、最後はイタリアの大公の後妻になるという、一見はシンデレラ物語だが、鋭い皮肉が込められている。
それは、一口に言えばイギリス上流社会の欺瞞と偽善であり、パリの社交界の堕落で、フェリーニの映画『8・1/2』で描かれたような乱痴気騒ぎである。
監督のシュレシンジャーは、こうした騒ぎをきわめて冷静に、また皮肉にながめている。
最後のイタリアの大公国の城と周囲の様子が傑作だが、1960年代に、こんな浮世離れした世界があったのかと驚く。
シュレシンジャーは、後にアメリカに招かれ、『真夜中のカーボーイ』や『イナゴの日』などの、これまた皮肉な作品を監督するようになる。