昨日の朝日新聞に、ちびまる子ちゃんの中で、「東京に行くと言ったら、そこは町田で、東京とは思えなかった」との挿話が出ていた。
だが、これは問題が逆で、もともと町田は、東京ではなく神奈川県だったのだ。
明治初期、全国で自由民権運動が盛んだったことはよく知られているだろうが、とくに横浜市と町田等の多摩エリアは、大変にその運動の盛んな地域だった。
しかも、この二つの地域は、絹、生糸の生産と海外への輸出を通じて深く結びあっていて、貨物鉄道の横浜線が関係者によって作られるくらいだ。
そこで、明治政府は考えて、この二つの地域を分割することにした。
町田市は、神奈川県から切り離して、東京に入れて三多摩の一部としたのだ。
逆に、後に神奈川県に編入された地域もあり、それは小田原県だった。
明治維新の廃藩置県のとき、小田原は、小田原県となったが、その後に足柄県となり、最後に神奈川県の一部になったのである。
現在の地域は、昔と同じではないのである。