東映の監督だった中島貞夫が、時代劇再興(彼はチャンバラと言っているが)を目指して若手俳優を使って作った『多十郎殉愛記』を作るメイキングである。
「時代劇再興」は、ヤクザ映画に移行して以来何度も言われてきたことだが、一つも成功したことがない。まあ、中村錦之助の『祇園祭』くらいだろうか、一応の成功と言えるのは。
その理由は、明快である。そもそも「時代劇が、日本映画の伝統」のように思っていることの間違いだ。
「時代劇」という言葉を作ったのは、伊藤大輔先生であり、当時の歌舞伎劇とチャンバラ劇しかなかった日本映画に、より実際に近い劇として時代劇と命名したのだ。だが、それは、当時の「傾向映画」への権力の弾圧への言い訳でもあった。
「これは、現在のことではなく、江戸時代のことです」で、だから時代劇の悪徳役人は、現実の警察のことで、悪徳商人は、ブルジョワジー・資本家の比喩だったのだ。
つまり、時代劇は、権力からの逃避の産物だったわけで、それがなくなった戦後に意味は失われていたというべきだろう。
だらか、戦後の文学でも、山本周五郎や池波正太郎らの時代物は、どこか洋画の焼き直しのように見えるのである。
ここでも中島は、チャンバラ再興に苦労しているが、問題はその成果であり、苦労の大きさではない。
そして、公開するが、コロナ問題で不満足なものになる。
またしても、「時代劇は再興せず」に終わる。
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