中野翠の回想は、大学時代を素通りして、仕事を始めた頃に飛んでいる。
大学時代のことは、まだいろいろと差しさわりがあるのだろうか。
私は、実際に経験はしていないが、1965年12月から始まった「学費・学館闘争」事件では、いろんなことがあったようだ。
1年上に、村上さんという人がいた。広島出身で、地元の放送劇団にいたらしく、いかにも役者らしい、面白い方だった。
同期には、後に井上遙となる漆川由美もいたのだが、彼女は155センチくらいの小柄な女性だったので、
「東京の学生劇団はすごい、子役もいるのかと思ったよ」と笑わせてくれた。
12月から、全学ストになり、各号館はバリケード封鎖されてしまい、大学側は締め出されてしまう。
1966年1月になり、大学は入学試験をやらなければならないので、順にバリケード解除を始めた。
ある学部、教育学部のバリケード封鎖解除になり、学生は動員して100人くらいがピケットをはっていた。
そこに大学の職員と体育会学生らが、バリケード解除にやってきた。
学生は、歌を歌って気勢を上げていると、大学の指揮者のある理事が、大きく手を挙げて、歌に合わせて手を振った。
そのとき、村上さんは叫んだ。
「いいぞ、カラヤン!」
もともと声の大きい人なので、一帯に響き渡った。
そして、その理事は命令した
「あいつをやっちまえ!」
村上さんは、大学職員等にボコボコにされたそうだ。
まだ、まだ牧歌的な時代である。
もう30年以上もお会いしていないが、故郷の広島では、玩具店をやっているそうで、なかなか大変なようだ。