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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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野村吉三郎とジョセフ・グルー

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1941年に、日米の険悪な関係を危惧して始められた「日米交渉」は、実は民間レベルで始まったもので、当初から先行きが危ぶまれていた。

正式な政府レベルの交渉となり、日本代表とされたのが、野村吉三郎大将で、彼は在米勤務の実績はあったが、その英語力はかなり問題があったようだ。

そして、さらに特派されたのが、来栖三郎で、彼は英語には堪能だったが、なにせ前年に、日独伊三国同盟を調印した日本側代表であり、米側や特に国務省のハルが最も嫌うドイツよりの人間で、これでは交渉はまとまるものではなかった。

                                           

この間、日米の間にあって、最も正確な日本分析をおこなっていたのが、米国大使のジョセフ・グルーだった。

彼は、1941年秋に、米国に報告している。

日本が、生産力や資源力で大きく米国に劣るから、対米戦争はしないはずだとの合理的判断をするだろうというのは、大きな間違いであり、時として非合理的判断をするのが日本と日本人の特性であると言っている。

まさにその通り、一かばちかの乾坤一碧の「掛け」に日本は出て、太平洋戦争は開始されてしまったのだ。

アジア的非合理主義であり、イラクのサダム・フセインにも通じる無謀さであろう。

さて、またグルーは、日本の天皇と天皇制についても、極めて卓抜な比喩で、分析している。

「天皇は、蜂の巣の女王のようなものであり、彼女は特に働きをしていないが、彼女がなくなると巣は崩壊してしまう。天皇を処罰、あるいは廃止したら、日本はソ連による共産化する恐れもある」と。

天皇制を廃止せよ、少なくとも東京裁判の被告席に立てろ、との声は、米国にもあったが、このグルーの進言によって、マッカーサーも納得し、逆に昭和天皇を日本の民主化に役立てたのだ。

つまり、「平和憲法と戦争放棄」とのバーターで天皇制は維持されたのである。

その戦後体制は、未だに維持されているのは、日本国民として果たして喜ぶべきことなのだろうか。

私には、未だに判断できない。


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