英米文学の翻訳で有名な鳴海四郎先生は、1950年代は、慶応高校の英語の先生だったそうだ。
同時に劇団文学座の俳優でもあり、実際に劇に出ていたそうだ。
ある日、高校生の渡辺保さんは、鳴海先生の授業の時、
「先生、昨日の芝居、見ましたよ」というと、非常に嫌な顔をされたそうだ。
その後、教師も俳優も辞めて、翻訳一本になったようだ。
また、今やシエークスピア翻訳の第一人者である小田島雄志先生も、都立八潮高校で英語を教えていたようだ。
ただ、中学の同級生の子に聞くと、少々むずかしくて生徒には不評だったようだ。
当時は、結構世の中が緩やかだったと思う。
教師が俳優もやるなど、大阪府、大阪市では許されないことだと思う。