京浜ふ頭とは、1980年代まで、磯子区鳥浜町で、ケイヒンが運営していた民間ふ頭である。
ケイヒンは、港湾関係者間では有名なので書いて良いと思うが、社長の大津氏は、在日だった。
大津氏は、戦後、横浜港で倉庫、港湾輸送事業を始め、東証1部上場企業にまでされた方である。
ただ、在日ゆえか、横浜港の関係団体の役員に一つもなっておられない。
そこで、二つの新しい事業に進出されたが、その一つが、ふ頭業で、根岸湾ハ地区埋立の売却の際に応募して、鳥浜に土地を取得して、子会社の京浜ふ頭を作った。
もう一つは、海運業で、香港の船会社のエヴェレットを買収した。
ふ頭業は、どうだっかは知らないが、エヴァレットの買収は失敗で、約100億円の赤字になったそうで。
そこで、このふ頭を横浜市に売却することになり、1983年の秋、当時管財係長だった私が担当することになった。
まず、財政局に行き、約90億円、3年分の債務負担行為を設定してもらった。さらに、財産鑑定審議会に掛けることも依頼した。
いろいろと手続きをやっていると同時に、ケイヒンの幹部との話し合いも3回くらいした。
副社長で長男の大津氏と、担当部長、それに法務担当部長の3人だった。法務担当というのは珍しいが、実はケイヒンは、さまざまな部署で法的問題を抱えていたので、そうした方がいたのだ。
そんなことをやり、財政局の鑑定評価の担当に現地調査してもらっている12月頃、ある噂が飛んできた。
「ケイヒンは、横浜市ではなくトヨタに売るらしい・・・」と。
大事件なので、課長、部長、局長にも、その旨報告した。
すると局長、部長は大変に楽観的で「値段のつり上げ策だ」と一笑に付された。
そして、年が明け、とうとうケイヒンは、京浜ふ頭をトヨタに売却したことが明らかになった。
価格は、100億円だったとのこと。
ケイヒンの大津社長は、港湾局長室に来て、土下座して謝ったとも聞いた。
だが、私たち事務方が接触していたケイヒンの幹部からは、一切の接触はなかった。
この時、トヨタは偉かった。彼らに責任はないのに、港湾局に来て謝罪していろいろと説明した。
さすが世界のトヨタだと思ったものだ。
この売却劇の裏には、トヨタは、旧京浜ふ頭での作業は、そのままケイヒンにやらせることが最大の理由だとも聞いた。
だが、数年前に見に行くと、作業はケイヒンではなく、藤木企業がやっていた。
この間に何があったのかは、私は知らない。
そして、1984年春の人事異動で、K港湾局長は、戸塚区長に左遷されてしまった。