斎藤美奈子さんとは、昔ある雑誌で同じ書き手だった。『HOLIC』という雑誌で、かなり過激な内容を狙っていたが、1年間は持たなかったと思う。
中で、斎藤さんは、一番光る書き手だったが、その後有名になったのは、さすがと思った。
ここでは、明治以降の近代文学の中での主人公たる男たちが、さんざ批判されている。
最初は、夏目漱石の『三四郎』で、地方から出てきて帝大にい三四郎は、女の心が分からない男とされている。森鴎外の『青年』も同様で、野暮天とされる。
大正時代の武者小路実篤の『友情』に至っては、ほとんどストーカーとされる。
また、ベストセラーの『金色夜叉』と『野菊の墓』については、熱海と伊香保に、それぞれの有名場面の銅像が立っていることも紹介された。熱海の銅像は見たこともあるが、伊香保に、民子と政夫の銅像があることは初めて知った。
ここで、斎藤が一番評価しているのは、細井和貴造の『地獄』と『工場』で、プロレタリア小説の細井は、実際に工場労働を経験している中で、男女の心情を理解していると評価されている。
最後に、なぜこのように恋愛小説が上手くできていないかの原因だが、
1 主人公が、地方出のエリートで、他人の言葉を聞く習慣がないこと。
2 男女別学がホモソーシアルな環境を作っていること。
3 多様な人間関係を知らないこと。
としており、今回の講義で聞いた独自の見解として『三四郎』は、『野菊の墓』の後日譚であるとのことだ。
私は、伊藤佐千男の『野菊の墓』は読んでいないが、木下恵介の映画『野菊の墓』では、有田紀子と田中慎二のコンビで、大人になってからの笠智衆が、民子の墓を詣でるシーンがラストだと記憶している。
これは、政夫の懺悔ののようにも感じられて良かった記憶がある。
ただ、今回の講座で『出世』については、ほとんど触れられていなかったのは残念なことだつた。