8月15日は、日本が連合国のポツダム宣言を受け入れて、敗北した日である。
この日の前後には、日本の戦争特集がテレビで放映され、新聞にも特集記事が出る。
だが、いったい戦争は、いつごろから始まったのだろうか。
結論から言えば、約1万年前の、中東地域で農業と牧畜が始まってからであり、ホモ・サピエンスの50万年以上の歴史のなかでは、ほんの一時のことである。
日本で言えば、縄文時代には戦争がなかったが、吉野ケ里遺跡にみられるように、弥生時代になると戦争が起きてくる。
吉野ケ里遺跡では、他者の侵略を防ぐために、大規模な環濠を巡らしているのがその証拠である。
以前、川崎市民ミュージアムの「牛山純一テレビ・ドキュメンタリー」上映で、長年にアジア・太平洋を取材された市岡康子氏の話がとても興味深かった。パプア・ニューギニアでは1990年代まで「部族間戦争」があった。最初は、弓や槍で総員化粧してお祭りのように騒ぐ。その段階ではせいぜい数人の負傷者くらい。その内、戦いがエスカレートして、銃器の使用になると死者が出る。それは、狭い地域での極めて近い「戦争」で、いわば隣の人間との戦争なので大変深刻で、日常生活にも支障をきたすようになる。
そこで最後は、「和解の宴」が開かれ終了するのだそうだ。
戦争の原因と和解方法を質問した。
勿論、ミュージアムのライブラリーにあるそうだが。原因は、農地の領土争いや女性問題だそうだ。
私は、争いの原因について聞いた。農地の領土問題や、村では、結婚は同村中では基本的には行われる。隣り村等から女性を貰う。だが、その新しい村の家族でいじめられた李、結婚の条件の違いなdから争いになるのだそうだ。そして、和解の方法は、宴で双方が出て盛大にやる。中身は、コンペンセイション、賠償である。具体的には豚をあげる等で、その数をめぐってまた争いになりかけたりする。その席には、州知事、警察等が出て見守る。一種の儀式、ドラマであろう。
20世紀の近代戦とはまったく異なるもので、その意味では、戦争は農業・牧畜国家ができた、1万年以降のことで、人類の本能ではないのだ。国家間の戦争は、近代以降のもので、「戦闘は、人間の本能だ」という俗説は、まつたくの嘘なのである。
台湾に行って「戦う覚悟:なんてバカなことを言った」麻生太郎は、本当の馬鹿者である。