先日、国立映画アーカイブで、成澤昌成監督の『裸体』を見て最初に感じたのは、増村保造の映画から「増村調の台詞」を抜いたら、この成澤作品になるな、とのことだった。
増村保造の作品群、緑魔子(『大悪党』)、渥美マリ(『でんきクラゲ』『しびれくらげ』)、大谷直子(『やくざ絶唱』)、関根恵子(『遊び』)らの映画から、いつもの、あの「増村調の台詞」を除けば、成澤昌成の映画『裸体』になると思えた。
それは、両者とも溝口健二の大きな影響を受けているからである。
成澤昌成は、もともと溝口健二と個人的な関係があったので、松竹京都の助監督になっても、溝口の言わば内弟子的でもあったので、晩年の脚本に付き合っている。
溝口の遺作『赤線地帯』では、成澤は東京・吉原でのロケハンにも付き合ったそうで、溝口の影響は多大である。
また、増村は、溝口には『新・平家物語』に助監督で付きあっていて、そこでの溝口の監督ぶりについては、非常に批判的であった。
だが、結局増村の良い作品は、すべてと言ってよいほど溝口から多大な影響を得ていることが分かるのは、ある意味でに皮肉なことだが。
もう一人、溝口健二につながる監督として、私は今村昇平がいると思うのだが、今村はもともとは松竹であり、直接のつながりはない。
ただ、伝統的に松竹は、日本の現代女性を描いてきた会社であり、その意味でつながってきたのだと思うのだ。