映画『裸体』の最後の方に、タバコやの娘として女優の中山千夏が出てきて、彼女は自分の本の中で、これを回想している。
松竹大船だが、まず予定に時間に彼女は現れなかった。こんなことはよくあり、すぐに助監督が控室に呼びに行き、やっと現れたが、非常に華奢な感じだったそうだ。
たしかに、ここで彼女は「私の胸は大きい」と誇っているが、そんなに大きいようには見えない。今日の巨乳女優に比べたら、ほとんど貧乳である。
ところが、彼女は、吸うと指定されていた煙草が「いつものと違う」と言い、買いに行かせて時間がかかった。当時、スタジオ内や付近に煙草は売っていなかったからだ。
そして、始まったが、今度は千夏がだめにしてしまう。
それは、千夏は、編み物をしながら嵯峨と対話するとなっていたが、当時千夏は「裏網み」が出来ず、手が止まっていたからだ。すると、嵯峨は、
「この子は、裏編みができないのよ」と言い、すぐにやってくれたそうだ。
それで、その場面はカットになり、撮り直しになったそうだ。
先日見た映画では、中山千夏は、編みのものなど何もはせず嵯峨と会話するようになっている。
これは、当時、嵯峨三智子のような女優でも、編み物を自分でやっていたことだ。
もっとも、彼女は、母親山田五十鈴と別れて暮らしていたので、できたのかもしれないが。
一方、中山千夏は、小学校の時から大阪のラジオ、テレビ、舞台で有名になっており、ステージママの母親がすべてをやって、学校にはきちんと行けなかったので、できなかったのだろう。
今はできないが、私は、小学校の家庭科で習ったので、編み物はできた。
穴のあいた靴下を、電球の切れたに被せて縫うなんてこともやったものだ。
中山千夏の本『蝶々にエノケン』は、非常に面白い本である。
私の考えでは、女優の二大名文家は、高峰秀子と中山千夏だと思う。
この二人は、どちらも子役上がりである。