昨日、映画『裸体』を見ていて感じたのは、嵯峨三智子はもとより、娼婦らしい桜むつ子らも、内風呂がなく、町の銭湯に来ていることだった。この映画の1962年当時、それなりに金があったはずの彼女たちも、家に風呂があるような住居に住んでいなかったのだ。
それは、私が、やはり風俗映画の最高の一つとして好きな、池内淳子主演の傑作『花影』でも、銀座のバーに勤めている、女給の彼女も、その赤坂のアパートには風呂がなく、町の銭湯に行くところから映画が始まっていた。これは、1961年の川島雄三監督作品だが、これも男性遍歴の映画である。
日本の都市で、風呂がきちんとついているような集合住宅が普及したのは、やはり経済の高度成長がかなり進行してからのことなのだろうかと思った。