「今回の逝ける映画人」特集で、一番見たかった作品。
原作は、永井荷風で、彼の短編集を再編集して、嵯峨三智子の一つの女の話にしている。
脚本・監督は、成澤昌成で、実に面白い。こういうのが本当の大人の映画である。
要は、自分の体の魅力に目覚めて、男から男へと遍歴する女の話で、シナリオ作成上はやってはいけないとされる「団子の串刺し」だが、挿話が面白いので、まったく飽きない。
さらに、主演の嵯峨三智子は、いろいろと問題のあった女優だが、ここではおそらくは成澤の丁寧な演技指導だろう、その場毎に台詞の調子なども変えていて、本当は芝居のできる女であることが分かる。
彼女は、船橋の漁師町の銭湯の娘で、父の菅井一郎は三助から、母親の浦辺粂子は女中上がりで、金貸しで、銭湯の持ち主の三井弘次に顎で使われている。
そんな暮らしにうんざりして銀座の経理事務所に勤めているが、所長の千秋実の囲い者になって、アパートに住む。
だが、彼女は、千秋が最初ではなく、船橋の漁師の息子の川津祐介と経験していて、
彼からは「責任を取るから」と求婚されるが、田舎の銭湯での肉体労働は嫌で断る。
千秋は、ケチで助べな男だが、企業相手に脱税を指南して大いに儲けていたが、ばれて事務所はつぶれてしまう。
すると、アパートを世話してくれた不動産屋の若い男の長門裕之に乗り換えて生活してゆく。
その家の大家の果物屋の女主人・浪花千恵子との会話も最高で、浪花は、嵯峨に中華料理屋で嵯峨に焼きそばをおごってもらうと、「焼きそばの油で、皮膚もすべすべ」と嵯峨をほめる。
嵯峨は、仕事もなく暇なので、田中春男のやるバレー教室に行くが、そこは秘密クラブの料亭と関係があり、そこの女将はなんと彼女の母親の山田五十鈴で、山田の手配で、国会議員の進藤栄太郎と夜を過ごす。
その夜のことを、バレー教室の仲間で、ストリッパーの宝みつ子に話す。
進藤には、 ぶたれたりしたとのことで、くたくただが、あんなに燃えたの初めてとのこと。
東京の銭湯で、中年の娼婦の桜むつ子らが、夜になると男がほしくなると言っていたのを反芻し、嵯峨は、ついに夜になると男を探す身となるのだった。美男子の佐々木功と目が合ってホテルに行こうとするが拒否されて、道に転がる。だが、すぐに彼女は唇を濃く塗りなおすのだった。
大変によくできていたが、少々おかしいところもあった。
それは、宝みつ子が、劇場でストリップを踊るシーンで、半裸の彼女のバックには大勢のダンサーが踊っている。こんなことは、1962年にはもうなかったはずで、これは戦前のレビューである。
その意味では、ここは大映で清水宏が監督した傑作『踊子』の方が時代的には正確だと思う。
それに全体として金銭感覚も1950年代後半のもののように思えた。
1962年は、高度成長が始まったときなのだが、それはあまり反映されていないように見える。
川又昂の撮影、武満徹の音楽、宇野耕司の美術も良い。
国立映画アーカイブ・OZU