朝、録画してある内田吐夢監督の『血槍富士』を見てから、シネマジャックに行き、『続・戦車闘争』を見る。『血槍富士』は、1953年に中国から帰国した内田の最初の映画である。
このスタッフ・キャストを見ると、企画・マキノ満男、監督・内田吐夢、撮影・吉田貞次、主演片岡千恵蔵、宿の女中・赤城春恵と、東映が、戦前の日活、マキノ映画とマキノトーキー、そして満州映画協会の残党の会社だったことが分かる1本である。
内容は、時代劇の道中もので、戦前に井上金太郎が作った作品を基にしている。江戸に、家宝の茶碗を持って行く侍の島田照夫、槍持ちの片岡千恵蔵、さらに従者の加東大介で、さまざまな人間が交錯する。
なんと言っても、最後に主人と従者を殺された槍持ちの千恵蔵が、藩の侍と戦って勝つ件の迫力はすごい。
ただ、全体を貫く武士、侍の社会の非人間性、百姓の娘が30両で売られる件などは、古いと感じる。少女の身売りは、戦前の昭和初期のことであり、武家社会の非人間性は、大正期の新歌舞伎のごときで、これまた古いと思える。
ただ、日活で作った『自分の穴の中で』では、内田は、8年間の不在の時期を持ったことで、「1950年代の日本は、アメリカの植民地文化だ」と思っていたようで、半分は正しいと思う。
内容に不満はあるが、千恵蔵の他、加東大介、島田照夫、月形龍之介、横山運平、吉田義雄、そして二人の千恵蔵の子の植木兄妹も大変に良いなあと思う。
ラストは、『海ゆかば』のコーラスで、強い反戦への意思が感じられる。
『続・戦車闘争』は、前作『戦車闘争』に続くもので、同じ小池監督。
前者は、戦った社会党、労組員、学生、逆に機動隊員らを幅広くインタビューしたものだったのに対し、今回は、闘争を取材した新聞社、テレビ局の記者、カメラマンらへのインタビューである。
最後の方で、フリーライターの斎藤貴男が、「戦後、日本は直接的に戦争に加担しなかったが、個々に見れば違う」と言っていたのは、私は違うと思う。
問題はあったとしても、戦後日本が直接に戦争に加担しなかったことは、平和憲法、9条の力であり、それは積極的に評価してよいことだと私は思う。
今でも、日本人に「戦争はやってよいか」と聞けば、平成上皇から、令和天皇に至るまで、戦争はよしとしないと思う。
平和憲法の9条があるから、天皇制は維持されたのだから。
そして、「50年前に相模原であんなに盛り上がった闘争があったのに、今はなんだ」というのも大間違いである。
1991年から96年まで行った「ウォーマッド横浜」の翌年の1997年に、「フジ・ロック・フェスティバル」は始まり、現在に至っているのだから。
どこかですべては、きっとつながっているはずなのだと私は思っているです。