1973年2月、横浜東宝で、この『反逆の報酬』と『赤い鳥逃げた』の2本立てを見たが、馬車道の大ホールはガラガラだった。
この2本は、沢田幸弘、藤田敏八と言うまでもなく元日活の監督で、さらにこの時期、東宝では、旧大映の監督の三隅研二や池広一夫などの監督作品も多く、雑誌『映画評論』は、「まさに新東宝」だと言っていた。こうした東宝の混乱は、『日本沈没』の大ヒットまで続くのである。
ベトナムの戦場でカメラを構えている戦場カメラマンの渡哲也は、死んでゆく黒人への友人チコ・ローランドから、東京のマンションの鍵を渡される。チコは、この時期の日活によく出ていたが、この辺が最後だと思う。
横田基地から日本に入国した渡は、そのマンションに行き、部屋を鍵で開けると美女の鰐淵晴子がいて、彼女に鍵を渡して、彼が死んだことを告げると、そのままベッドイン。
鰐淵は、豊胸だがほとんど見えない。
そして、いろいろあるが、この鰐淵を介して、東南アジアから麻薬を米兵を使って密輸していたことが分かり、その過程で石原裕次郎は、鰐淵の実兄で、1年前に死んだと思われていたことが分かり、悪の親玉は桜井産業社長の成田三喜夫で、藤岡重慶と武藤武昌が、その子分。
成田には、後は悪徳弁護士の小池朝雄のみで、悪が貧弱なので、ドラマがひどく小さく見える。
やはり、歌舞伎ではないが、「昆布巻女中」や「聞いたか坊主」のような何もしない「並び大名」は必要なのだと思う。
ただ、注目されるのは、撮影が金宇満治で、岩波出身のカメラは、諸所で手持ちの即興撮影のようにみえた。
第一、女優の露出度からみても、『赤い鳥逃げた』では、パンツ一丁の桃井かおりの裸が見られるのだから。
館内が、ガラガラだったのも、無理もなかった。
渡の恋人で夏純子が出ていたが、まだ新人のころになる。