静岡県立大森山優先生の講演を朝カルで聞く。内容は、少し多すぎて、資料の割には、結論は薄い。
構成は、戦前の日本の意思決定システムの問題点が中心で、「国策統合システム」が統一されていない点が最大の問題だった。
よく言われる、政治は内閣、軍事は統帥に分かれていたのが最大の問題で、両方を見られるのは、天皇ただ一人。実際に、1942年5月のミッドウェー海戦の敗戦すら、天皇と海軍しか知らず、陸軍も東條英樹首相も知らなかったというのだからひどい。
この辺は、1941年12月7日の真珠湾攻撃の敗北を「調査委員会」を作って議論したアメリカとの根本的な差である。
結局、どのようにして米国への戦争になったかは、残念ながらよく分からなかった。
ただ、このでも出てきたが、東條内閣のとき、賀屋蔵相、東郷外相らは、反対だったが、他の大臣はもう仕方ないということだったようだ。
実際、戦後、賀屋は、東京裁判で被告になり、「共同謀議」を言われたとき、
「共同謀議なんて片腹痛い、陸軍は北だ、海軍は南だと言ってバラバラで、知らない内に開戦になった」と記録しているくらいだ。
問題は、いつ頃、昭和天皇が戦争を決意したかだが、侍従の百武三郎らの日記によれば、1941年10月中旬頃のようだ。
しかし、12月上旬の開戦は最悪の時期だった。もう少し待てば、ドイツがソ連に負けつつあるのが明確になったのだから。
もともと、対米戦争の条件が、ドイツの欧州での勝利という他力本願だったので、ひどいのだが。
たしかに、ドイツの当時の技術力はすごく、日本が驚嘆したのも無理はない。
映画『民族の祭典』を見ても、望遠レンズ、スローモーション撮影、グランドの横にトレンチを掘っての短距離のレース撮影など、本当にすごい技術だ。
ドイツ国内だが、オリンピックはテレビ放送で中継もされたのだから。