先日見た、唐十郎作の『少女都市からの呼び声』には、重要なキーワードとして、オテナの塔が出てくる。
満州に残留した陸軍の隊長の風間杜夫らは、北の果てにあるというオテナの塔を目指すと言い、三角の塔の影がホリゾンとに映り、霧と共にラストになる。
ここは、いっそのこと、ホリゾントを開けて、7階のビルの外に風間を吊るしたら場内全員大感動だったと思うが、それはなし。
渋谷のシアター・コクーンのホリゾントは開くようになっていて、蜷川幸雄は、ラストで劇場外の渋谷の街を見せたものだが。
演出の金守珍は、そのくらいの冒険をすべきだったと思うのだが。
さて、この劇を見ていて、唐十郎をはじめ主要な作者は、このオテナの塔を見ていないのではないかと思えてきた。
NHKラジオの『新諸国物語』の『紅孔雀』、『笛吹童子』等は、東千代之介・中村錦之助の東映で作られていて、東横映画から東映へ発展する基となった。
だが、どのような経緯か知らないが、この『オテナの塔』だけは、宝塚映画製作、東宝配給なのだ。
中村扇雀、雪村いず、山田真二らの出演、大映の監督安田公義で作られているのである。
これは、なにを意味しているのだろうか。
一つは、東宝の若手俳優に時代劇を覚えさすこと。もう一つは、東宝という現代劇が中心の会社の系列館でも、時代劇を望む観客がいたことへの対応である。
だから、宝塚映画というと、宝塚の生徒たちを出した歌芝居が多いのかと思うとさにあらず、結構医大劇が多いのである。
私の記憶では、この『オテナの塔』は、アイヌの人の話で、オテナの塔に行けば、黄金が手に入ると言った筋で、ラストはそこに向けて、高老の長者の下で、雪村や扇雀らが北に向かうというものだったと思う。
その辺は、あまり上手く劇に取り入れられていないように見えた。
いずれにしても、当時の状況劇場の金らの若手の連中の番外公演として行われたので、唐十郎の最大の特質である「陶酔感」に欠けるものになったのだと思えた。