今や、この言葉を知っている人も少なくなっただろうが、1980年代の日本には「運建戦争」というのがあった。
これは、運輸省と建設省の縄張争いのことを言ったものだが、それは中央の霞が関で展開されるものではなく、横浜のような地方で、「代理戦争」として行われたものだった。
その典型的な例が、40年前の横浜で実施された、みなとみらい21計画の起工式に違いない。
それは、一応、公式的には1983年11月に、起工式が行われたとされている。
だが、その1週間後に、「礎石鎮定式」という名の起工式も実施されたのだ。
前者が、建設省と横浜市都市計画局で行われた公式的なものだった。
一方、後者は、運輸省と横浜市港湾局で行われた式だった。
横浜市で、みなとみらい21計画が始められたとき、最初は企画調整局の計画だった。
それが、都市計画局での実施事業になった。
そこで問題となったのは、港湾エリアの埋立事業だったが、これは港湾局の埋立でやるので、港湾局の了解がいる。
当然にも、都市計画局の担当の小沢さんらの幹部が、港湾に日参して説明したが、なかなか事は進まなかったようだ。
そうしていても仕方ないとして、まずは双方を顔を立てる形でやったのが、二つの起工式だったのだ。
関係者でもない私が良く憶えているかと言えば、その数日後に横浜で結婚式を挙げたからだ。
そして、私たちは新婚旅行に、バリ島とシンガポールに行った。
旅行から戻ると、日本シリーズで、西武が巨人を初めて破って日本一になっていた。
さらに、その間に「二階堂政権」という奇妙な動きもあったようだ。
すべて、40年前の1983年のことであり、今は昔の物語、というしかない。