根岸にあった大日本航空の飛行艇の基地のことを書いたが、実は日本の映画界とも深い関係があった。
それは、同社の東京の本社で、有楽町にあったが、空襲で焼失した。
そこに目を付けたのが日活社長の堀久作で、米軍用の駐車場を作るとのことで土地の払い下げを受けて、日比谷パークビルとし、日活の本社、映画館、ホテルにした。
石原裕次郎と北原三枝の結婚式も、ここで行われた。
堀は、大変な政商で、江の島に水族館を作ったが、国有地である砂浜にどうやって民間の建物を作ったのか。相当に金をばらまいたのだろうと思う。
政治家原健三郎の名前が、長い間小林旭の「渡り鳥シリーズ」の原作者としてタイトルにあったが、これは勿論政治献金の言い逃れである。
私が学生時代、劇団の先輩の島村さんの会社・東西通信でアルバイトしていたとき、日活の本社はまだそこにあって、後のロマンポルノ時代の初期もそうだった。
だが、ポルノで当たった日活は、不動産事業に手を出し、また労組紛争で部屋があいていた六本木のビルに移転し、名称もシネ・ロッポニカに代えた。
実に安易な改称で、すぐにダメになり、今度は文京区に移転して現在に至っている。
大日本航空の呪いだろうか。