ネットで羽仁進と入れたら、なぜか「高倉健、佐伯清が語る」と出てきたので、見ると檀ふみが聞き手で、高倉健と札幌の寿司屋で対談しているテレビだった。
北海道と馬、映画のことで、最初に北海道で撮った作品は、佐伯清監督の『夕陽と拳銃』だったとのこと。
次は、内田吐夢監督の『森と湖の祭り』で、ここから馬、そして『網走番外地』シリーズになって行く。
この佐伯清も、石井輝男も、実は新東宝出身で、その前は東宝にいたのだ。だが、東宝が大ストライキで、分裂し、彼らは新東宝にいくことになったのだ。石井は、もともと東宝ではカメラマンで、その性で徴兵を逃れたのである。東宝には、秘密スタジオの航空教育撮影所というのがあり、そこでは主に海軍からの注文を得て、「教材映画」を50本以上作っていた。
それは、戦後の新東宝撮影所の大スタジオに模型の真珠湾を作り、戦闘機を飛ばして上空から爆弾を落とすシーンを作る。さらに、それを文字で説明するカットをアニメで付加していく。
これが真珠湾攻撃のマニュアル映画で、12月8日の真珠湾攻撃の後では、海軍から感謝の電話があったそうだ。これは、うしおそうじの『円谷英二伝』にきちんと書いてあることだ。
一方、佐伯清は、京都の小撮影所にいて、伊丹万作の弟子で、伊丹が東宝に入ったのに付いて、東宝砧に来た人なのだ。
佐伯清で、重要なものの一つが、橋本忍の原稿を黒澤明に見せたというのがあり、それが『羅生門』になり、ここから黒澤と橋本忍の繋がりになったのである。
ただ、佐伯清は、大人しい人柄だったようで、東宝、新東宝、そして東映でも大きく評価されることがなかった。
だが、高倉健のヒット作『昭和残侠伝』を始めたことは、大きな業績だと思うのだ。
私が、高校、大学の頃、好きだったのは高倉健と渡哲也だが、高倉では、『地獄の掟に明日はない』と『新幹線大爆破』が最高だと思っている。
一方、渡哲也では、『紅の流れ星』と『大幹部・無頼』だと思っている。
そして、付け加えるなら、高倉健は、倉本聡の『冬の華』を経て、東映をでたころから「堕落」したと思っているのですね。