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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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日本石油の土地は

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横浜市中区根岸にある日本石油精製の土地の一部は、実は日本石油のものではないと知っている人はどのくらいいるのだろうか。

今は、どうなっているか知らないが、1980年代は、日石製油所の南側の掘割川側の一部の用地は、実は国際航業が所有する土地だったのだ。

なぜ、私がそんなことを知っているかと言えば、当時港湾局港営課管財係長をやっていたので、知っていたのだ。

港湾地区には、今では厳しくなくなったようだが、「臨港地区規制」というのがあり、臨港地区内では港湾に関係する企業や組織しかできず、また所有することができないことになっていた。

およそすごい縄張りだったわけだ。

だから、臨港地区内の土地の完全な所有者の台帳があった。

半畳くらいの大きな地図で、そこに全所有者が書かれていて、私の管財係長時代の「愛読書」だった。

そのなかで、根岸の日本石油の一番の南側は、国際航業になっていたのだ。

なぜか、それは国際興業の歴史をたどればわかるが、ここは戦前の日本にあった大日本航空の後継企業だったのだ。

 

                    

大日本航空は、一種の国策企業で、サイパンなどの南洋空路を飛行艇で結んでいた会社なのだ。

その映像が見られる映画がある。1942年の東宝の阿部豊監督の『南海の花束』で、もちろん円谷英二の特撮が使われている。

ただ、横浜は防諜地帯だったので、飛行艇がどこを飛んでいるかは、よく分からない。

しかし、岸辺にある大きな格納庫はきちんと写されている。DVDにもなっているので、興味のあるかたは、どうぞご覧ください。

1980年代は、カマボコ兵舎のような建物が立っていて、日石のトラック用地になっていて、製油所の設備はなかったので、やはり日石の所有する土地ではないなと思ったものだ。

 


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