明治大の山田先生の『激動の時代の天皇と皇弟たち』の3回目、「天皇の作戦指導」をzoom
で聞いたが、非常に面白かった。
中では、結構個々の作戦の細部について、的確な指摘をしている。
1942年の珊瑚海海戦についても、これは日米五分五分くらいだったのだが、こういう時は徹底的にやって敵を全滅すべきだった」と言っている。
天候と日米両軍艦船が、別々に離れたので、引き分け的になったのだが、次のミッドウェーへの影響とニューギニアの連合国基地ポートモレスビー上陸ができず、逆にニューギニア島を西部から陸路で攻撃することになり、これは餓死と全滅を起こすことになる。「神軍平等兵」の奥崎謙三が戦ったのもニューギニアである。
ミッドウェー以後では、非常に顔色が悪くなり、側近は日光行幸を勧めるが、天皇は逆に連合艦隊本部に行きたいと言い、それで折衷されたのが、宇都宮での空挺部隊の大演習視察だった。
そして、イタリア、さらにドイツが敗北するが、天皇は、戦後の言葉だが、両国との同盟があったので、8月まで降伏は伸びたのだと言っている。
そして、悲劇的な、ソ連を仲介者とした和平案。ヤルタ会談で、ソ連に参戦を約束させていたのだから、凡そ馬鹿げたことだった。私は、これはゾルゲ事件で、二重スパイたるゾルゲらを処刑してしまったのが、失敗だったと思うのだ。無期懲役くらいで泳がせておけば、ソ連の内部情報が得られて、こんなソ連を仲介者とする和平案などという馬鹿げた案はなかったと思う。
最後、聴講者からの質問に答えて、
「日本は戦争を止める、あるいは時には負けることの想像力がなかったことが最大の問題だった」
「近代以降で、戦争に負けて滅んだ亡国はないこと」
まさにその通りで、敗戦になったが、亡国どころか、いろいろと問題はあるとしても、縄文時代以降、最高の繁栄を得ているのだから、戦争を止めて、その後しなくて良かったのであると思う。