シネマジャックで「永遠の女優」シリーズをやっているので、見に行く。
1966年のロジェ・バディム監督の『獲物の分け前』で、主演は当時夫婦だったジェーン・フォンダ。
なにを分けてくれるのか、「俺の美女を見ろ」というのか、でもジェーンは美女ではあるまいと思う。
原作はエミール・ゾラだそうだが、読んでいないので、どこからが翻案なのか分からず。
バディムは、昔々も、フランスの恋愛小説の元祖の『危険な関係』をドイツ占領下のフランスにして映画にしている。要は、特別に自分に描くべきモチーフのない人なのだろうと思う。
日本で言えば、井上梅次のような人だろうか。
若い妻のジェーン・フォンダを、彼女が持っている巨額の財産を目的に結婚した実業家のミシエル・ピッコリの大学生の息子のピーター・マッケナリーが、当然のごとく若いジェーンと恋仲になってしまう。
そして、ジェーンは、ミシエルとの離婚とピーターとの結婚を申し入れる。
すると、ミッシエルは、離婚に同意するが、彼女が結婚の際に持ってきた持参金は渡さないことにし、代わりに何かを給付するらしいが、そこはよく分からなかった。フランスに固有の制度なのだろうかと思う。
ピーターは喜ぶが、ミシエルは、銀行家の娘と婚約しろと言い、ただの発表だけで良いとするが、それを仮面舞踏会で行う。
ジュネーブで、離婚の手続きを終わってパリの邸宅に戻ると、豪華な仮面舞踏会が行われていて、ジェーンは、ピーターの婚約のことを初めて知る。
ここでフィンなのだ。
テレビの二時間ドラマなら、ジェーンが誰かを殺して、探偵か警察が来て本当の劇が開始されるところだが。
どうなるか、そんなことはどうでも良い、ただ、「どうだいい女だろう」とバデイムは、見るものに言っているように思える。
そんなことに付き合えるか、と私はやや憤然としてジャックを出た。
ジェーン・ホンダのヌードは、瘦せすぎで、あまり性的魅力はなし。
舞踏会の音楽は、サルサで、時代的には随分と早いようだ。