テネシー・ウィリアムズは、日本の若い女性に人気が高く、大学の英文科の卒業論文では一番多いそうだ。私も英文科だったが、まじめではない落第生だったので、卒論は、ユージン・オニールで、担当の教授は「私は読んでいません」とのことで、作戦通り「優」をもらうことができた。
多くの人は、テネシー・ウィリアムズを、『ガラスの動物園』に代表される、彼を詩的で、抒情的な劇作家と誤解しているようだが、彼はむしろ新派的なメロドラマ作家だというのが、私の考えである。
彼の作品の多くが、日本では文学座で上演されてきたが、文学座の指導者の一人が、劇団新派の演出家久保田万太郎と共通していたことでも証明されるだろう。
そして、今回の松本裕子演出の『地獄のオルフェウス』では、アメリカ南部の白人の女性たちの俗悪さが、非常に強調されていたようにみえた。
その知性のなさ、通俗性、他人の家のうわさ話への異常な好奇心、金銭への執着と本質的なケチなどが、これでもかこれでもかと繰り出され、登場人物の誰にも救いが与えられていない。
唯一、少しだけ救いがあるのは、盲目になってしまう、保安官の妻で、絵を描くビー・タルボットである。
この女性の姿は、私には精神の病からロボトミー手術をされてしまったテネシー・ウィリアムズの姉のことが想起された。
いずれにしても、この劇の人間は、ほとんどが精神を病んでいて、作者のテネシー・ウィリアムズは、まるで「アメリカ人は本質的には、みんなこうなんだよ」と言っているようにもみえる。
ほとんど「反アメリカ」的な作家であり、彼はアメリカに恨みでもあるのか、と思った。