金曜日は、パソコンの調子が悪くて、山田朗先生の『軍人としての昭和天皇』を見られなかったが、昨日の午前中にオンラインで見ることができた。
戦時中に、陸海軍は、日々戦況奏上をしていたが、陸軍の記録はなく、海軍のは少し残されているとのこと。陸軍は、1945年8月15日以降、焼却してしまったのだろうとのことで、卑怯なことだ。
この陸海軍の戦況奏上は、個々別々に行われたとのことで、陸海軍は、共に相互の戦況を知らなかった。
日本で、全体を知っていたのは、昭和天皇しかいなかったのだから、本当にひどい話だ。
それもあって、東條英樹が、首相、陸相の他、参謀総長を兼務し、「東條幕府だ」と批判されたことがあったが、これは東條なりに正しい対応だったとも言えるだろう。
その意味では、彼は統制派であり、近代的合理主義者であったとも言える。
海軍の戦況奏上の一つで、1944年10月の台湾沖航空戦があった。
これは、大誤報で有名なもので、大型空母を10隻轟沈したとのものだった。
だが、実は2隻だけだったのであり、16隻中、14隻は残っていたのだ。
ただ、この台湾沖航空戦は、薄暮で天気も悪かったので、実際に戦果を判定するのは難しかったようだ。
その理由は、この頃はベテランパイロットも不足していたので、搭乗員の確認も不十分で間違いが多々あったとのこと。
現在なら、衛星で分かるが、当時は一切なかったので、船舶の存在の確認は非常に難しかったようだ。
そして、昭和天皇は、平和主義者と言われるが、意外にもそうでもなく、対中国に対しては、大きな一撃を与えないと交渉はできないなどと考えていたようだ。