「たけしの芸能史」で、子役特集があり、面白かった。
BSなので、テレビが中心だが、日本映画で、子役が多く必要とされたのは、サイレント末期、1920年代の松竹蒲田からである。
それまでの、チャンバラ時代劇では、子役はほとんど必要なかった。
松竹蒲田撮影所は、一応近代的な映画の制作を目指していて、現代劇を目標としていたからだ。
だが、当時は、劇団新派の演目である「継子いじめ」「なさぬ仲」等が中心だったので、いじめられる存在としての子役が必要だったのだ。
最高のスターが、高尾光子で、次いで加山雄三の母親の小桜京子などが上位にいたが、高峰秀子もなんでも演じられる子役として珍重されていたようだ。
小津安二郎の映画『東京の合唱』では、少年役も演じているのだから、彼女は子供時代から上手かったわけだ。
戦後も、浅丘ルリ子、吉永小百合、桑野みゆき、松島トモ子、太田博之などが子役から出ているが、珍しいところでは、東映の教育映画『風呂焚き大将』から石橋蓮司が出ている。
そして、子役の需要が増えたのは、1954年のテレビの開局からで、ここでのヒット番組からは「チャ子ちゃん」や「けんちゃん」らの「大スター」が出てくる。
そして、子役養成の教室というか学校は、東京だけで70もあるとのことには本当に驚く。
もっもと、俳優養成の学校は1950年代からあり、松竹の脚本家だった小林久三も、大森の俳優学校で教えていたと書いている。ここからの生徒には、女優の芦川よしみなどもいたそうで、売れない監督、脚本化等のアルバイト先になっていたようだ。そこは、子役ではなく青少年が多かったようで、地方から出てきた少年少女が、都会暮らしの寂しさを紛らわす場でもあったらしい。
東京のある教室の授業の様子も紹介されたが、発声や身体訓練の他、「即興演技」で、これは、かのロシアのスタニスラフスキー・システムに起因するものだなと思う。
私たちも、稽古は、スタ式のエチュード・システムでやったものだ、大学の学生劇団では。
最後に、赤ん坊の表情等の撮影の専門家の「ベビー・ハンドラー」という方の存在は、初めて知って驚いた。
『徒然草』ではないが、「何事にも先達はあらまほしきものなり」というべきだろうか。