言うまでもなく、泉鏡花の名作だが、映画化されたのは、比較的遅く1934年で松竹蒲田である。
『滝の白糸』などに対して、セリフ劇だったからだろうか。
主演のお蔦は田中絹代、相手の早瀬主税は、岡譲二で、当時の蒲田の人気スターである。
芸者の蔦と密かに所帯を持っているのが主税で、それを知った恩師酒井修造先生の志賀請
江戸時代から、武士などでも師弟関係は、やや愛情的関係でもあったのだから、それは不思議ではない。。
そして、主税が、お蔦に別れを言うのが、有名な湯島の白梅の場面である。
ここは、実は鏡花ではなく、劇団新派の女形の喜多村禄朗が、セリフから動作まで全部工夫して創作したもののようだ。
「別れろ切れろは、芸者の時に言うことば、今の私には死ねということよ」になる。
二人はいやいや別れて、主税は静岡に行き、お蔦は、姉芸のこ芳に倣って、髪結いになる。
そして、お蔦は、危篤となり床に臥す。原因は不明だが、多分結核だろう。
実は、この主税の静岡行きとそこでの悪人たちの死の件は、鏡花の劇の展開と順序が逆なのだが。
死の床で、先生はお蔦に詫び、主税もなんとか駆けつけてl来るが、間に合わずに終わる。
トーキーなので、録音に注意しすぎた性か、照明が悪くて、非常に画面が暗い。
『婦系図』は、映画として5回作られているが、1962年の大映の市川雷蔵と万里昌代のが一番良いと私は思う。