1967年のこと、トルコに遊びに来たアメリカ人のビリーは、小遣い稼ぎにヘロインを買い、体に身に巻き着けて出国しようとする。空港で、飛行機に乗る寸前に警察に止められる。当時、頻発していたテロ事件と間違えられたのは、不幸というしかない。
大使館の男は、「君たちは、新聞を読まないから知らないだろうが、テロ事件が起きていたんだよ」と言い。
そして、裁判になり、4年の刑が宣告されて、獄に入れられる。
そこは、雑居房で、さまざまなトルコ人がいて、およそ地獄絵図である。
ほとんど暴力も犯罪的行為も野放しで、異国人のビリーはいじめられる。
このトルコの監獄の描き方には、問題があるとしてトルコから苦情があったようだが、相当に誇張されていると思える。監督はイギリス人なので、比較的客観的にも見えるが、まあ当時はこんなものだろうと思う。
公開当時見て、麻薬密輸をしようとした外国人が罰せられるのも当然と思ったが、今回見ても変わりはない。
面会に来た恋人とガラス越しに交情しようとするシーンもある。彼女は言う、「ニクソンとトルコの対立に利用された」
「本当かね」と思うが、中東等でアメリカ人旅行者が、スパイと交換されることもよくあるので、この背景には何かあるのかもしれない。
最後、恋人から貰った現金を看守長に賄賂として渡そうとして、逆に暴行されるが、その中で、看守長は壁に飛び、突き出ていた鉄の棒に首筋を突き立てれて死んでしまう。
まるで、必殺シリーズの殺し方みたいに。
そして、看守長の服に着替えて、ビリーは、監獄を出ることに成功する。
どこまでが本当で、どこからがフィクションか不明だが、相当にトルコへの偏見のある映画だと思える。