横浜市にいて、バカバカしかったことを書いたが、もう一つ思い出した。
それは、1996年頃のことで、なぜか高秀市長が、急に2008年のオリンピックに立候補すると言い出した。
すでに大阪市が出ていて、「今更むり」とみな思ったが、市長はやる気になったらしい。
当時、私は横浜コンベンションビューローにいて、ここと横浜観光協会の合併の仕事をやっていたのだが、急遽オリンピック招致事業を手伝うことになった。
やることも大してないので、至急に市内企業から寄付を集めて、それで「桃太郎旗」を作ってみなとみらい地区や横浜駅に出した。
高秀さんは、抽象的なことをやってもダメで、ものにして見せないと理解できないので、そうすると以外にも好評だったようだ。
だが、ある夜に、大風が吹き、パシフィコのプラザの旗が全部倒れたことがあり、朝から浜崎部長と、1本、1本立て直していた。
その時、俺はいったいなにをやっているんだと思った。
この結果は、国内的には、大阪市に大差で負け、その大阪は中国の北京に負けた。
当然の結果だった。