1960年の東映、中村錦之助の森の石松ものだが、非常に斬新で、大変に面白い作品である。
なにしろ、錦之助が演じる若手演出家が「ヌーベルバーグだ」と言っているのだから、普通じゃない。
脚本、監督の沢島忠、そして錦之助は、本当の天才だと思う。
劇場で、『森の石松』の閻魔堂の場面が演じられていて、演出家は中村錦之助、助手が丘さとみ、照明が山形勲で、支配人は進藤英太郎。
寿司屋の出前が鶴田浩二で、掃除の伯母ちゃんは赤木春恵である。
錦之助は、「この芝居が古くさくていつも通りだとして不満」だが、支配人達は、
「三日後に本番だ」と言ってそのままやれという。
彼は、不満で酒を飲み酔って、劇場に戻ってきて、支配人室のソファーで寝る。
目がさめると、遠州にいる森の石松になっていて、廻りの者も皆次郎長一家の人間になっている。
皆は、錦之助を「おかしくなった」といい、その治療の一助として、錦之助は次郎長の代参に丘さとみと出ていく。
千両を盗んできた田中春男に、千両箱を担がされたりする脇筋があるが、最後は小松村の吉五郎(鶴田浩二)の家に来て、都鳥に欺されて殺されてしまう。
と、目がさめて、支配人室から出て、丘さとみを呼び、舞台で演出を指示しているところで終わり。
これは、よくある「夢落ちもの」とは違うと思う。
ジャン・ポール・サルトル脚本の映画『賭けはなされた』と同じ、もう一度人生を生きてみたが、やはり同じだったという実存主義的ドラマだと思うだ。