録画してあった水谷豊の地方新聞の通信局員のドラマを見ていると、能登の後陣乗太鼓が出てきた。
これを見たことがあるなと思う。
1965年正月のアートブレイキー公演で、サンケイホールだった。
まだ、ファンキーブームが日本に残っていて、何度目かの来日公演だった。
正月だったので、ロビーでは薦被りが置かれているなど、にぎやかな公演だった。
そこにこの太鼓が出てきた。ブレイキーがドラムスだと言っても、日本の太鼓との共演とは。
よくあるイベントだが、伝統音楽は、演奏を変えないので、いつまでやっても変わりはなく、共演は常に退屈なものになる。
こうした企画を最初に見たときだった。
サンケイホールでは、この前に「テイク・ファイブ」のデーブ・ブルーベックも見たことがあるなど、当時ジャズのコンサートは大抵サンケイホールだった。
その後、消防法の改正で、閉鎖された。