文学座の支持会員だったのだが、今年は会費を納入していないので、一般料金で見に行く。
紀伊国屋サザンシアターへは、代々木から歩くが、ここもひどい駅で、近道の地下道があるのだが、そこは急階段を降りて、昇るしかないので、迂回して行く。途中に踏切があり、以前は貨物線だったが、湘南ライナーによって踏切が次第に「開かずの踏切」化しつつあり、この日も一時止められた。
作の東憲治は、1968年は5歳だったそうで、彼の福岡の田舎育ちと、演出の西川さんが、ちょうど19歳だったそうで、この二つが合わさったような話になっている。
福岡の農家の次男の主人公梁瀬文徳は、地元の大学を受けて落ち、浪人になり、予備校生となっているが、ろくに通わず、映画館に入り浸っている。
この幕開きの映画館のシーンは、清水邦夫・蜷川幸雄の『なぜか青春時代』のようだ。
彼の家は、元は農家だったが、父親の梁瀬孝雄は農業を止めて建設業に変わっていて、残った農地を祖母サワの新橋耐子が趣味的に野菜を作っている。
1968年の夏、長男で印刷工場に勤めていた博徳が、会社を辞めて、祖母の野菜作りを手伝うと決意したところから始まる。
そこは、かつて彼らの祖父が、「梁瀬農業学校」として地元の青年と農業教育をやっていたところでもあるのだ。
サワの作るカボチャやキュウリは、美味しいと行って付近に出来た団地の主婦倉橋綾子が好んで買いに来ている。彼女は、次第に博徳に引かれていき、二人の仲を綾子の夫の倉橋光明に疑われて喧嘩になったりする。
このトラック運転手の倉橋の高橋克明は、新橋と並び、人物の中で生活感があって面白かった。
文徳の姉の睦美は、東京の大学に行き、学生運動をやっていたようだが、傷ついて戻って来たところだった。
彼女の口から多少の時代の事柄が出るが、もちろん重要事項ではなく、私はそれでよいと思えた。
ここで、時事問題について議論しても無意味だからだである。演劇は、時事問題の議論の場ではないのだから。
ある夜、台風が来て、農地もサワが一人で住んでいた納屋も完全に破壊される。
農地を売ろうとしていた父親に対し、「絶対に売らない」と頑張っていたサワだが、ついに亡くなってしまう。
文徳は、ここを出て、東京の大学に行くことを決意して終わる。
時代を描くといっても、この程度だと思う。文学座の財産の『女の一生』も、1945年春の初演のときは、こんなものだったと私は思うのだ。
その後、さまざまな工夫、改編があって名作となったのだと思う。
紀伊国屋サザンシアター