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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『太陽を抱く女』

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高校1年の時、隣の席にK君がいた。サッカー部だったが、英語が非常にできる男で、現役で一橋大に入った。

だが、彼は変な趣味で、歌手は三沢あけみ、女優は真理明美が好きだったのだ。

この映画は、一応彼女の二作目の映画となっているが、本当は違い、PR映画の『恋の羊が海いっぱい』と『わが愛、北海道』に主演級で出ていて、どちらも監督は黒木和雄である。

 

                             

当時は、本名の及川久美子である。もっとも、東レの宣伝映画には、彼女の他、久里千春、五月女マリ、水垣洋子などの若手タレントが多数出ている、そしてなんとミュージカルなのだ。

つまり、彼女は、故郷から出てきて、いろんな作品に出ていたが、松竹が募集した映画『モンローのような女』に合格して、正式に女優デビューしたのだろう。

だが、彼女は、モンロー的ではなく、むしろオードリー・ヘップバーン的であり、グラマーではないのだ。

そも意味では、この映画は、彼女の良さをよく生かしていると思える。

北海道から、彼女は佐野周二の代々木上原の家に、女中としてやってくる。

日本映画には、「女中映画」というジャンルがあり、左幸子の『女中っ子』という名作もあった。

また、若水八重子の『女中映画シリーズ』も日活にあった。テレビでの市原悦子の「家政婦は見たシリーズ」もその変形だとも言えるだろう。

だが、西河克巳が東宝で、森昌子主演でリメイクしたとき、女中は差別用語だというので、『ドンぐりっ子』になった。

小沢昭一によれば、女中は差別用語ではなく、本来は「お女中・・・」のように尊称だった。

1960年代までは、都会には結構女中がいたもので、私の知合いの家でも、一応一部上場企業の課長クラスの家だったらしいが、子供が3人もいたというので、大体女中さんがいたそうだ。

佐野の息子の柳沢真一は、繊維会社の宣伝課長で、たまたま用で社に来た真理をモデルが不在になったテレビでのコマーシャルに出すと大評判になる。

柳沢の妻は、久保菜穂子である。柳沢も、最初は新東宝だったはずだ。

彼女を起用して宣伝写真を撮ることになり、それも当たる。

次女の清水まゆみは、赤坂の天ぷら屋を菅原文太とやっているが、そこに手伝いに行っても大評判になる。

次男で絵描きの小坂一也は、真理をモデルに絵を描くと展覧会に入選してしまう。

すべてが上手く行き、出戻り娘の三ツ矢歌子は、工場主の杉浦直樹と結婚する。

要は、真理明美の可愛さを上手く生かしており、映画『モンローのような女』のようなおかしさはない。

『モンローのような女』は、やはりモデルで売り出した真理が、最後は当時ヒットしていたピンク映画に出て裸になるか、だけが意味のある筋という非常に変な話だったからだ。

この映画は、最後に「第一部終わり」と出て、監督を渋谷実から弟子筋でもあった篠田正浩に代えて作る予定だったが、1作目の失敗で、二部はなしに終わる。

真理明美の良さを上手く生かした点では、さすが番匠義昭だと思った。

これは、菅原文太、三ツ矢歌子、久保菜穂子と旧新東宝組を使った作品でもあった。

衛星劇場


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