先週の土曜日の朝日新聞のBEに時代劇のファン投票が出ていた。
1位が『水戸黄門』である。時代劇と言えば、あの勧善懲悪劇だと思っている人も多いだろう。
だが、時代劇は、元々は反体制の劇だった。
そもそも時代劇という名称はなく、これを最初に使ったのは、伊藤大輔先生で、映画1923年の『女と海賊』のシナリオを書いた時に、「新時代劇」と称したのが始まりである。
それまでの、旧時代を舞台とした活劇は歌舞伎や、岩見重太郎などの講談ものを基にしたもので、荒唐無稽なものだったのに区別して実録的な作品として、伊藤は新時代劇と称したのである。
そして、大正末から昭和初期の時代で、次第に反体制な劇になっていき、傾向映画と呼ばれ、権力の弾圧を受けるようになる。
そこで、時代を現在ではなく、江戸時代にして反権力的主題を描くのが時代劇になった。
伊藤大輔監督の『国定忠治』3部作が典型である。
悪代官は警察、悪徳商人は資本家、百姓は農民・労働者、忠治のような反抗者は共産党員ら、等の具合である。
こうした時代の置き換えは、実は江戸時代の歌舞伎でも行なわれたことだった。
徳川幕府は、同時代の事件を描くことを禁止していたので、赤穂事件は、室町時代のことにして『仮名手本中心蔵』ができたのである。
時代劇が、体制賛美の勧善懲悪劇になったのは、戦時中のことだと私は思うのだ。