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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『チェイシング・トレイン』

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大学に入り、映画研究会を辞めて、劇団に入ったとき、2浪して8年生という林裕通さんに会った。

林さんは、1958年に大学に入った人で、なんと1960年6月15日には、国会に突入していたという人だった。

どうやって国会に入ったのですかと聞くと、「あの頃は、すぐそばで集会をやって、そのまま通用門に行ったんだ」とのこと。

当時は、最高裁判所や国立劇場のあたりは、国立劇場予定地と言われて、空地で自由に使えたのだ。

その後、これらの建物ができ、国会周辺は規制が厳しくなり、容易に近づけないようになったのだ。

さて、この林さんから、吉本隆明のことなどについて議論したが、同様に話したのが、ジャズのことだった。

私もピンときていなかったが、ジョン・コルトレーンで、LPは持っていたが、あまり良いとは思っていなかった。

林さんは、簡単に否定し、「鈍才が悩み苦しんでいるだけじゃないか」だった。

彼が好きなのは、ソニー・ロリンズは別として、オーネット・コールマンで、エリック・ドルフィーと共演していて夭折したブッカー・リトルなどを「青春の危うさと輝きだね」と言いきり、私を驚かせた。

そんな形で、ジャズを形容する人は、『スイング・ジャーナル』等にもいなかったからだ。

そんな中で、コルトレーンはいよいよ異常になり、ほとんど祝詞のように聞こえたので、私たちは「祝詞ジャズ」と言い合ったものだ。彼自身は、インドやアフリカの民族音楽を志向していたようだが。

このコルトレーンの伝記映画を見ても、私たちの考えを訂正する記はしない。

彼の祖父は、牧師だったとのことで、祝詞も彼の本質だったのだろう。

私は、彼のまじめで温厚な性質は、バラードや抒情的な曲にはあっていて、『ジョニーハートマンとコルトレーン』や『デューエリントン&コルトレーン』でのバラードは良いと思う。

ビル・クリントンからカルロス・サンタナまでの信奉者が出てきたのも驚いた。

これが終わってロービーに出ると、『水俣曼荼羅』を待つ人で一杯だった。

横浜シネマリン

            

夕方は、某所で大相撲初場所を見るが、御嶽海が出羽の富士を破って優勝する。

これで、大関は確定だろう。出羽の富士は、膝が悪いようなので、後半戦は披露が蓄積するのか、横綱としてやっていくのは結構難しいと思う。

早く、御嶽海、さらに朝乃山を復帰させて、競わせないと本当に大関、横綱がまたいなくなるのではと思う。

 

 


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