ジュディ・ガーランドの伝記映画で、ほぼ事実どおりだと思うが、アメリカの芸能界はすごい。
前にも書いたが、私はトロントのホテルで、ナタリー・コールのショーを見たことがある。
それは、エディ・フィッシャーの前座だったのだが、彼女もグラミー賞受賞の大歌手である。
二人とも非常に上手く、また受けていた。
そして、翌日、私と横浜市の若竹さんと、パシフィコ横浜常務の長田さんの3人は、シカゴに向かった。
そのとき、ナタリー・コールは、われわれと同じ飛行機に、マネージャーと二人だけで乗っていた。
彼女のような一応は大スターでも、旅興業ではそんなものなんだなと思った次第。
この伝記映画でのジュディーは、ロサンゼルスのホテルで宿泊を断られ、仕方なく前の夫の家に行き、二人の子供を預ける。
そして、娘のライザ・ミネリが残していたメモから、ロスでのパーティーに行く。
1960年代の、ロック時代の乱痴気パーティーで、ライザはすぐにデビューすると言っている。
そこで、ジュディは、得たいのしれない若者ミッキーと恋に落ちる。
これがいかにも色事師という感じである。
そして、ロンドン公演に行く、当初は上手く行くが、ミッキーが来た当りからおかしくなり、酒に酔って舞台に出て、落ちたり、客に暴言を吐いたりする。
ある夜、出口に二人のファンが待っていて、一緒に飲みに行くがあいている店はなく、彼らのアパートで飲む。
本が一杯の部屋で、二人はホモセクシュアルで、投獄されたこともあるのだ。
ついにミッキーと結婚し、彼は「ジュディ・ガーランド劇場チェーン」を作って儲けると言うが、勿論それはできない。
最後、降ろされた彼女に代わってロニー・ドネガンガのステージになるが、そこに彼女は来て、
「一曲だけ歌わせて欲しい」と言い、「降っても晴れても」が最高で、次は「虹の彼方に」を歌うが、
途中で詰まってしまう。その時、かのホモの二人が歌い出し、全員の合唱になる。
その半年後に死んでしまうが、まだ47歳だった。
壮絶な人生というべきだろう。