ヒストリーチャンネルで、『ワールドトレードセンター』が放送された。
その最初は、1939年のニューヨーク万博で、この時に世界の物産展示館としたワールドトレードセンターができたそうだ。
戦後、それを自分で建てようとしたのが、デビット・ロックフェラーで、彼は父や兄が、ロックフェラー・センターやリンカンーン・センターを作ったのにならび、自分も歴史に残るものを作ろうとし、ニューヨーク港湾局と共同して建設したのだそうだ。
そして、建設の最初のデザインは、日系のミノル・ヤマザキによって作られた。
港湾局とデビットは、様々な障害を乗り越えて、10年間の工事で1972年に竣工する。
あの場所は、ラジオ街と呼ばれた町があったエリアだが、港湾局が土地を収用したとのこと。
日本の臨港地区規制に該当するものだろう。
この計画には、アンパイア・ステートビルが反対し、彼らのポスターには、飛行機が飛び込むショットがあったとのこと。
私は、1983年10月、横浜市のポートセールス団を引きいてアメリカに行き、この最上階のレストランで、関係者を招待して懇談した。
そのとき、驚いたのは、地下鉄の轟音が響き、振動が伝わってくることだった。
要は、非常に軽く、脆弱にできていたのだそうだ。
そして、2001年9月11日、テロリストにハイジャックされた2機のジェット機が衝突して倒れてしまう。
衝突よりも飛行機のガソリンが燃えてその高熱で鋼板が壊れたのだそうだ。
あの日、私は脳梗塞で7月末に倒れていて、病院に入院していた。
病院は10時には消灯なので、夜のニュースは見ておらず、朝起きるとテレビが大騒ぎしていて、大変に驚いたものだ。
その頃、私はやっと手が動くようになったくらいで、左足はほとんど動かなかった状態だった。
その頃には、新宿のキャバレーの火事で死者が出て、また古今亭志ん朝も亡くなった。
もう20年も前のことである。